今年12月21日に福井教会発足65周年を迎えます。12月10日には記念式典を教会で行ない、別居道場、各ご家庭にYouTube配信します。
そして、主任さんを中心に信者さんへ記念品を届けていただきながら、出会いに取り組んでいただいています。
私たちも、一人ひとりが出会いに取り組み、出会いを楽しんでいきたいと思います。
開祖さまのご法話には、タイトルに「出会い」とつくご法話が多数あります。今回から「出会い」についてのご法話を学びたいと思います。
今回は、1985年10月の「佼成」ご法話、「人生は出会いである ~それを活かすにはどうすればよいか~」から学ばせていただきます。
〇懐かしい出会い重大な出会い
わたしはこの十一月十五日で満七十九歳を迎えます。今あらためてこれまでの永い人生をふりかえってみますと、それが数えきれないほどの人びととの出会いの積み重ねだったことが、深い感慨をもって思い出されるのです。
まず第一に家族です。ユーモアがあり、ひとに親切で、とりわけわたしを可愛がってくれた祖父。寡黙で実直な農夫だった父。働きもので限りなく優しかった母。
それから、懐かしい小学校の校長の大海伝吉先生や受持ちの渚先生。東京で奉公した炭屋の主人の石原淑太郎さん。海軍時代の上官だった中野兵曹長。神秘の世界をのぞかせてくれた天狗不動の綱木さん等々、数え立てればきりはありません。
なかでも、わたしの人生にとって決定的だったといえる出会いは、法華経に眼をひらかせてくださった新井助信先生でした。
出会いにはさまざまな相があり、順逆それぞれの意義がありますけれども、何といっても自分の魂に一生抜けることのない深いクサビを打ち込むのは、こちらも心の底から信じ、相手も胸を開いて信じてくれる、そんな人との出会いでしょう。
それが新井先生にほかならなかったのです。
先生の法華経の講義には、初めは十四、五人が聴講していましたが、一人減り二人減り、ついにはわたし一人になってしまいました。先生は法華経を説きたくて仕方がない。わたしは聞きたくて仕方がない。それで一年三百六十五日、盆も暮れもない。正月の元日も休まなかった。
奥さんが−−わたしには一日でも口をきいてくれないことがあるのに、庭野さんが来ると一日じゅうでもしゃべっている−−とヤキモチを焼いたような有様でした。こういう火花を散らすような出会いがわたしの法華経人生を決定づけたのでした。
私たちも、振り返ると開祖さまのような出会いがあったのではないでしょうか。あの人との出会いがあったから今がある、あの時にあの人が傍にいてくれたからここまで来られた…等それぞれの方に出会いがあったと思います。
今回は、自分を振り返りあの人のあの言葉、あの出会いがなかったらこんな喜びはなかったと思うことを思い出してみませんか。
次回までよろしくお願いします。
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写真は今年の開祖さま生誕会を迎えた一乗宝塔です。
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