今日は脇祖さまのご命日です。そして、明日は東日本大震災から10年を迎えます。震災から5年目を迎えた時に、前の教会のブログに投稿したものを加筆修正し投稿します。
2021年3月11日、東日本大震災発生から10年を迎えます。多くの尊い命が失われたことを改めて思い起こし、心より哀悼の意を表します。また、今なお避難生活を強いられている皆さまをはじめ、すべての被災された皆さまに、心よりお見舞いを申し上げます。
東日本大震災についてのある番組が、今でも私の脳裏に強く印象に残っています。それは次のような内容でした。
被災地のある小高い場所に、白い電話ボックスがあり電話線がつながっていない黒電話、「風の電話」が設置されていました。「風の電話」は大切な人を失った遺族が亡くなった人と会話するために、そしてその想いが亡くなった方へ風に乗って伝わるようにと震災の前年に設置された電話でした。
震災後、家族を亡くされた遺族の方がその場所を訪れ、「風の電話」で話をされている様子が映し出されました。
その中で、父親を亡くされたご家族の方が話しをしている様子が心に残りました。初めてその地を訪れた家族が、一人ずつ「風の電話」を通して父親に話かけていました。3人のお子さんのうち、震災後、父親についてほとんど話さなかった娘さんの番になりました。娘さんは泣きながら受話器を握りしめ、亡くなった父親に向けた最初の言葉は、「お父さん、ごめんなさい」でした。彼女は、震災前に父親に対して、つい言ってしまったことを後悔し、5年も心の中に留めていたのです。彼女は「風の電話」を通して父親に謝った後、少しずつ日常生活のことを話し始めたのです。
私にも3人の子どもがいます。愛する妻と、子どもたちを残して亡くなった父親の想いと、残されたご家族の想いを考えると、その様子を見ていて、涙がこみ上げてきました。また、彼女の姿から、私自身、家族や大切な人たちについ言ってしまったことで気まずい思いをしたまま、あるいは喧嘩したままでいることはないかと自分を振り返り反省しました。
私は震災を通して、一つ一つのことに丁寧に取り組み、目の前の人に喜んでもらえるような生き方を心がけようとしています。それは今を大切にする生き方であり、毎日を充実した、後悔しない生き方、目の前の人との出会いを大事にする生き方であると思います。
しかし、いつの間にか、また明日すればいい、また今度にしようと、当たり前のように明日がくると思い、今を大切にしていないことが多々あります。
会長先生がご法話で次のように紹介されています。
仏さまの教えを頂く私たちにとって何が有り難いのかというと、私は、いつも次のように申し上げています。とても分かりやすい法句経の中に、こういう言葉があります。
人の生(しょう)を受くるは難(かた)く、やがて死すべきものの、いま生命(いのち)あるは有難(ありがた)し。正法(みのり)を耳にするは難く、諸仏(みほとけ)の世に出(い)づるも有難し
これは、簡単に言えば、「人が生命を受けることは難しく、必ず死ぬことになっている者が、たまたま生命があるということは、本当に滅多(めった)にない、有り難いことだ。生命を受けたとしても、その生きている間に、正しい教えに接することは滅多にないことであり、仏さまが満ちているこの世、地球に生まれることも滅多にない、本当に有り難いことである」ということです。
こうした仏さまの教えの中から、「有り難い」という言葉、「感謝」ということが出てきているのです。ですから、この世で最初に「感謝」ということを発見されたのは仏さまということになります。今、私たちも、その「感謝」の心を頂いて、精進させて頂いているということです。
(会長先生ご法話より)
東日本大震災から10年を迎え、震災のことを忘れずに、今いのちを頂いていることに感謝を深め、今を大切に精進していくことを、もう一度肝に銘じていきたいと思います。
あらためまして、亡くなられた方々のご冥福と被災された方々の心の安寧と復興が早く進むことを祈念させていただきます。
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