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後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん) 8号~

更新日:2021年12月9日

今日の一枚は、教会入口門の松です。雪つりされていて、この時期の風物詩です。


今日もお釈迦さまが入滅される前に説かれた、「自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)」について、「やくしん(2019 年 2 月号)」から学んでいきましょう。


○自分を救うのは自分自身

「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」といわれるように、この世のすべての存在は仏性の顕(あら)われです。私たち一人ひとりもまた、仏と同じ性質を具えています。私たちはただ、そうした人間本来の心(仏性)を発揮しさえすればよいのです。そして、天地自然の道理に合致した自分自身を依りどころにしていけばいいのです。

とはいっても、現実の自分は迷いと煩悩に満ちた、不完全な存在に見えます。とても依りどころにはできない、と思う人もいるかもしれません。

そこで、まず法灯明から入るのも一つの順序です。仏の教えをくり返し学び、心に植え付け、日常生活に照らし、実践する「ご法の 習学」に努めていく。そのように、法を灯火(ともしび)として精進するうちに、次第に心が清められ、我が取り去られて、自然と自分の言動が周囲と調和していくのです。その仏性の輝きが「自灯明」ということでもあります。

また、仏教は「自覚」の教えといわれます。誰かが救ってくれるのでもなければ、拝んでご利益(りやく)をいただくのでもない。自分自身が教えに目覚め、法に沿った生き方をすることで、本質的に救われていくのです。誰もが自分自身を救う力を具えています。仏さまは、そのことを私たちに気づかせ、「自灯明・法灯明」の道を歩み出せるようにと、慈悲の心でさまざまな現象を現わしてくださるのです。

庭野会長は、次のようにも述べられています。

「とかく私たちは、教会長さんのご指導を頂かなければならない、あるいは支部長さんのご指導を頂かなければならないと考えます。一つの手段、方便によって、だんだんと個々人が人格を高めていくのですから、そうしたプロセスは大事なことに違いありません。しかし最後は、一人ひとりが自灯明になり、法灯明になって生きていくことが、仏さまの願いです」。

「自分の心や行動を改めることなくして、ただ人に救ってほしいという姿勢では、救われないと仏教では言われております。最終的に、自らが自らを律する人間になっていくことが大事なことであります」。

「自灯明・法灯明」という釈尊の“遺言”を、私たち一人ひとりがどのように受けとめ、人生に生かしていけばいいのか、真剣に考えることが何より大切なことです。


「法灯明」である「ご法の習学」を実践していくと、「自灯明」につながっていくと教えていただきました。私は、何かあったら(何もなくてもですが)、今月の佼成の「会長法話」を基に考えていくことを大切にしています。

今日は、「自灯明・法灯明」を意識して、「ご法の習学」に取り組んでいきましょう。




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