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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん) 9号~

更新日:2021年12月9日

今日の一枚は、長年、福井教会の皆さんを見守ってきた旧道場の屋根瓦です。立派ですね。佼成会の紋も入っています。


今日はお釈迦さまが入滅される前に説かれた、「自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)」のまとめとして、会長先生のご法話「やくしん(2019 年 2 月号)」から学んでいきましょう。


○仏教は自覚の教え  

日ごろ私たちは、体調が悪くなると、病院で診察を受けたり、薬を飲んだりします。しかし、医療面だけで健康を維持することはできません。一番大事なのは、自分に具(そな)わった本来の生命力を養(やしな)うことであります。

同じように釈尊は、「誰かが幸せを与えてくれるのではなく、あなた自身が、自分を幸せにしていくのですよ」「教えを生活にいかしてこそ救われるのですよ」と教えてくださっています。

自らを依りどころとし、仏法を依りどころとする—それが「自灯明、法灯明」ということであり、釈尊が入滅される直前に遺(のこ)された言葉です。

もちろん、教会長さんや支部長さん、先輩などからアドバイスを頂くことも非常に大切です。しかし、いつまでも他の人に頼ってばかりいると、問題が起きた時、自力で立ち向かい、対処することができなくなります。

釈尊の教えがどんなに尊くても、自分自身がそうした受け取り方のできる人間にならなければどうにもなりません。何事も仏法に当てはめて考え、自らを律(りっ)し、目の前の出来事に精いっばい取り組んで初めて、人生のさまざまな悩み、苦しみを乗りこえることができるのです。

有名な一休禅師(いっきゅうぜんじ)の次のような歌があります。

『極楽は西にもあれば東にも 来た (北) 道さがせ 皆身(みなみ)(南) にぞある』

極楽というと、どこか遠いところにあるように思います。ところが本当は、自分の心の中(皆身) にあるという意味合いです。

仏教は、自覚の教えです。何か特別な偉大な存在にお願いをして、夢や希望を叶(かな)えてもらうのではなく、一人ひとりの自覚によって、真理・仏法に目覚めることが肝心(かんじん)なのです。

お互いさま、「自灯明・法灯明」の生き方を目指して、日々精進していきましょう。


今日は、「自灯明・法灯明」を意識して、教えに照らし合わせ一つ一つ丁寧に取り組んでいきましょう。 🤗




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