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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)110号~

今回は、「私の信仰いろは帖」(竹村欣三著)から人間界について学んでみたいと思います。竹村欣三氏は開祖さまの秘書を長年務め、理事、責任役員、佼成出版社代表取締役などを歴任された方です。開祖さまのエピソードが述べられている著書が多数あります。


○「人間界(にんげんかい)」-触れる縁によってくるくる変わる世界(フラフラ状態)

こんな話があります。白隠禅師(はくいんぜんじ)を訪ねてきた武士が、こう質問したんです。「禅師、いったい地獄とか極楽というものがこの世にあるものでしょうか」と。すると禅師が、いきなり口をきわめて武士を罵(ののし)りはじめたのです。「いつ死んでもいい覚悟ができていなくてはならぬ武士の身で、地獄や極楽はあるのでしょうかとは情けない」。そうして禅師は、さらに武士を罵り続けます。

あまりの罵倒(ばとう)に武士は思わずカッとなって、かたわらの刀を取って抜き放ち禅師に斬りかかろうとしたその瞬間、「ほれ、そこに地獄があるではないか」と禅師が言うんです。なるほど、考えてみればそのとおりで「いや、これは申し訳なかった」と謝る武士に、禅師はすかさず、「ほれ、そこに極楽があるではないか」と。

地獄や極楽は死んでから行くところじゃないんです。私たちの毎日の生活の中で、私たちの心がつくりだしているのです。こんなふうに、ふれる縁によってくるくる変わるフラフラ状態、それが人間です。


私たちもふれる縁次第で、地獄界(カッカ状態)、餓鬼界(ガツガツ状態)、畜生界(ブーブー状態)、修羅界(イライラ状態)へと、すぐに逆戻りしてしまいます。本当に不安定な人間界(フラフラ状態)の心ですね。


今回も、出会いによって自分の心にどんな心が湧くのかを見つめてみましょう。

気づき、発見、疑問、感想等があれば、コメント入力してください。

次回までよろしくお願いします。




大聖堂では、大賀蓮がいままでの中で一番咲いています。(と、私は思っています)

大賀蓮は、1952年に2000年前の種が見つかり、今年で開花して70周年だそうです。

蓮は雨や風に吹かれ、倒れても、花を咲かせるとき、必ず顔をもたげ

倒れたままでも空を見上げ花を咲かせます。

そんな蓮の健気ながんばりを見ていつも感動しています。

今回は、いま咲いている大聖堂の大賀蓮の写真を添付させていただきます。


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