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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)113号~

今回は十界互具の声聞界(しょうもんかい)・縁覚界(えんがくかい)について学んでみましょう。


心を野放しにしたまま「六道」の世界をさまようような私たちであっても、ときにはこのままではいけないと己を深く顧みて、人間らしい聖なる生き方をしたいと願う気持ちがわき起こることがあります。それが「六道」の中の「人間界」であり、その心が聖者(せいじゃ)の四界(しかい)といわれる「声聞」「縁覚」「菩薩」「仏」の境地への入り口です。


○「声聞界・縁覚界」

聖者の四界の第一段階に位置づけられている「声聞(しょうもん)」とは、人の話を聞いて、そこから何かを学び、修行しようとする人、どちらかといえば学習主義的な傾向の強い人です。

それとは逆に「縁覚(えんがく)」とは、縁によって覚(さと)ると書かれているように、人生で苦に出会えば、その原因をとことん探求しようとする人です。自らの体験や修行によって真理を会得(えとく)しようと志(こころざ)す人。平たく言えば、問題意識の深い人。「声聞」が学習主義な人であるならば「縁覚」はどちらかといえば体験主義的な人といえるでしょう。

このこともなかなかできないことですが、しかし、どちらも自分本位の修行や悟りを求める人達です。

しかし、法華経では、この教えの一句でも本気になって聞いて実践すれば仏になれると説かれています。たとえば、ご法の話を聞くだけで、まだ人には話すことができない声聞の人であっても、「ご法の話を聞きにいきませんか」と人さまをお誘いすれば、それも立派な声聞の菩薩行になります。また、自分の体験を通して気づいたことを自分のものだけにするのではなく、「このようにするといいですよ」とお伝えしていくことは縁覚の菩薩行になります。


今日は、出会いによって自分の心にどんな心が動き、十界互具のどの心が湧いたのかを見つめてみましょう。

気づき、発見、疑問、感想等があれば、コメント入力してください。

次回までよろしくお願いします。




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