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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)120号~

前回から、毎日読誦している三帰依(三宝帰依)の尊さ・大切さを、『三宝帰依は生きる原動力』(「やくしん」2003年1月号)から学んでいます。

今回は、三帰依文の最初に掲げられている「仏に帰依し奉る」とはどのような意味なのかを学んでみましょう。


○仏に帰依する

「仏」とはいうまでもなく、真理を悟り、それを私たちに説き示してくださった釈尊であり、久遠(くおん)の本仏(ほんぶつ)のことですが、では、その久遠の本仏とはどのような存在なのでしょうか。

開祖さまは、「久遠実成の本仏とはこの宇宙のあらゆるものを生かしている根源の法」であると、それを明確に示されています。

すると、仏に帰依するとは、私たちをこの世にあらしめ、生かし続けてくれる存在の前にひざまずき、信じきり、拝みきっていくということになります。

しかし、「根源の法」には具体的な姿がありませんから、仏に帰依するといっても、実際に何に対して合掌礼拝し、生かされていることへの感謝を申しあげたらいいのかとの疑問が生じるかもしれません。

佼成会会員が本尊と仰ぐ「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊(くおんじつじょうだいおんきょうしゅしゃかむにせそん)」は、その「根源の法」(久遠の本仏)と真理を悟られた釈尊を一体にしてあらわしたものです。そうであれば、私たちはご本尊のお姿を通して「根源の法」を見ることが大切だといえます。

そして、ご本尊に心の底から合掌礼拝させていただく姿勢が、仏に帰依する一つの具体的なあり方ではないでしょうか。

けれど、何もわからないまま、ただやみくもに信じ拝むということはできません。「帰依する」ということにおいて最も大切なのは、大いなるいのちに生かされているのだという実感をともなった感動です。「有り難い」という感謝の念です。その歓喜によってこそ、「仏に帰依し奉る」と心底お誓いできるのです。


今回は、自分をふり返り、仏さまに生かされていると感じたことを味わってみましょう。

コメント(気づき、発見、疑問、感想等)があれば記入してください。

次回までよろしくお願いします。




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