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後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)118号~

今回は、十界互具(じっかいごぐ)のまとめとして、開祖さまのご著書「新釈法華三部経」2巻(P216)から学んでみましょう。


すべての人間の心のなかには、仏になる可能性もそなえていますし、地獄に落ちる可能性もそなえています。仏界・菩薩界・縁覚界・声聞界・天上界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界の十界のどこへでもいける<因>をもっているのです。

それが、人間界にいる人間だけでなく、地獄界にいるものでも、仏界にいるものでも、やはり十界のどこへでもゆく可能性(因)をそなえているのです。この、十界の人がそれぞれお互いに十界へいく可能性をそなえていることを<十界互具>といいます。

ここで、あるいは疑問がおこるかもしれません。すなわち、すでに仏となった人間も、地獄へ落ちる可能性をそなえているのであろうか—という疑問です。仏はすべての迷いを去り、執着(しゅうちゃく)をはなれ、十悪(じゅうあく)をのぞきつくした人ですから、その仏に地獄の因子(いんし)があるというのは、たしかに矛盾(むじゅん)のようにおもわれます。しかしそれは矛盾ではありません。

仏にも悪の因子は内在しているのです。しかし、その悪の因子を善に変えてしまわれたのが仏なのです。(中略)

もし仏の心の中から<悪>とか<煩悩(ぼんのう)>とかいう因子が、すっかり消滅してしまっているならば、もろもろの人間たちの心のなかにある<悪>や<煩悩>がわかるはずがありません。わからなければ、それを救えるはずもありません。仏の徳とか慈悲というものは、けっして赤ん坊のような天真らんまんなものではなくて、すべての悪や煩悩をもハッキリと見とおしたうえでそれを包容し、善へと導いてゆくという、大きな智慧のはたらきなのです。

これで、仏・菩薩にも地獄や修羅の因子があるのだということは理解していただけたこととおもいます。ただ仏・菩薩はその<因>に芽を出す<縁>を絶対に与えないだけのことなのです。それどころか、逆に、その<因>に慈悲という<縁>を与えて、そこから衆生済度(しゅじょうさいど)の教えを発見されるわけです。こういうふうに、<因>は、与える<縁>しだいでどんな<果>へでも導いていけるわけであって、これが<十如是(じゅうにょぜ)>の教えの神髄(しんずい)ともいえましょう。


今回は、出会いによって自分の心に湧いてきた心に、慈悲という<縁>を与えていけるように取り組んでみましょう。

気づき、発見、疑問、感想等があれば、コメント入力してください。

毎回コメントをくださるYさんですが、そのコメントがとてもユーモアがあり秀逸です。機会があれば読み返してみてください。

次回までよろしくお願いします。




閲覧数:318回2件のコメント

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2 Kommentare


こ う じ
こ う じ
02. Sept. 2022

「まとめ」とは、 ま:学んだことを 心に と:留めて置くための め:メソッド(方法)の1つです。 る:ルーティンです。

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こ う じ
こ う じ
01. Sept. 2022

おはようございます。(^o^) まだ、コメントが浮かびません。 そこで一句。 コメントを 考える度に 読み返す 功徳あり。 以上、今日も頑張ります。 🙆🙏🙇

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