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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)114号~

今回は十界互具の菩薩界(ぼさつかい)について学んでみましょう。


○「菩薩界(ぼさつかい)」

「菩薩」は、困った状況や苦しんでいる人を見ると、自分の事はさておいてなんとかしてあげたいと考え、実行に移す人です。つまり自己犠牲(じこぎせい)を払ってまでも他のために奉仕することを喜んでする人を「菩薩」といいます。

せちがらい世の中にこんな素晴らしい心根(こころね)を持った人は滅多にお目にかかれない気がします。そして自己犠牲を払って他のために奉仕するような行いは、自分のことにかまけてばかりいる普通の人間にはとてもなしえないことのような気がします。しかし、私たちは自分では自己犠牲を払ったという意識はなくとも、菩薩としての素晴らしいはたらきをなしていることがあります。

次のような話があります。ある奥さんが病気にかかりその手術のために沢山の新鮮血が必要となったのですが、それを確保するためにその奥さんのご主人は駅に出かけて、命のかかった手術に必要な新鮮血の提供を道行く人に呼びかけたそうです。すると、あっという間に必要なだけの人数が確保され、その人たちが病院まで駆けつけてくれたそうです。見ず知らずの人の呼びかけですから、それをやり過ごしても誰からもとがめられることはありません。ですが、ご主人の切羽詰まった呼びかけの声を聞くうちに、何かしてあげなければという思いに駆(か)られた人たちが、進んで献血を申し出られたのです。

そうした善意のほどこしが、たとえわずかなものであっても、それは身近な生活の場でなしうる貴重な自己犠牲の精神の発露(はつろ)です。誰もがそうそうした行いを人にしてあげて喜んでもらいたいという願いを心に秘めています。それをはっきりとあらわしていける人が「菩薩」の境地に立った人といえるのです。


今回は、自分の心にある菩薩の心に目を向けてみましょう。

気づき、発見、疑問、感想等があれば、コメント入力してください。

次回までよろしくお願いします。




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