今回も『三宝帰依は生きる原動力』(「やくしん」2003年1月号)から、毎日ご供養で読誦している三帰依(三宝帰依)の尊さ・大切さを学んでいきます。
今回は、三帰依文の最初に掲げられている「自ら」とはどのような意味なのかを学んでみましょう。
○「自ら」ということ
三帰依文を唱えるとき、私たちはただそれぞれへの帰依をお誓いしているわけではありません。それぞれについて、必ず「自ら」と唱和することに、じつはとても大きな意味があります。
会長先生もその点を指摘され、「仏教では自覚―みずからさとることを大切にしています。ですから、『みずから』と唱えることが見逃せない大事」といわれ、また一人ひとりが真理に目覚め信仰的に自立することの大切さを教えてくださるのです。
人から強制された信仰ではなく、みずから法をつかみ、感動を覚え、仲間とともに帰依を深めていく。そして、心の底から三宝を信じ、拝む。そこにこそ、生きる原動力となる智慧があり、喜びがあります。何があっても揺らぐことのない本当の幸せと、常に前向きに生きる勇気が、そうして得られるのです 。
人から言われるからとか、強制されるから仕方なく「仏・法・僧」に帰依をするということではなく、「自ら」ということを唱えていますので、このことを大事にしていきたいと思います。日常の取り組みもそうですが、各々が、自分ができること、たとえばゴミを一つ拾うこと、一食を捧げる運動に取り組んでみること等から、「自ら」という意識で取り組むことが大事ですね。皆さんが「自ら」意識して取り組んでいることは何かを振り返ってみましょう。
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次回までよろしくお願いします。
↑大聖堂の入り口の壁画です。『文殊菩薩さま』が智慧の象徴である獅子に乗っている様子が描かれています。
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