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後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)128号~

今回は三帰依(三宝帰依)について、東洋大学教授 菅沼 晃先生(やくしん 2008 年 1 月号)から学んでいきましょう。


○三宝帰依は「信」に依る

ブッダガヤーの菩提樹のもとで悟りをひらかれたお釈迦さまは、しばらくの間、悟りの楽しみにひたっておられましたが、梵天の勧請(神々がお釈迦さまに対して、説法の要請をする)によって布教を決意し、かつての仲間であった五人の修行者たちのいるサールナートの鹿野苑(ろくやおん)に向かわれました。

ここで五人にたいして最初の説法がおこなわれ、五人はそのままお釈迦さまの弟子となりました。

このとき、真理と一体になられたブッダ(仏)、ブッダの教え(法)、およびお釈迦さまと五人の修行者を含めたブッダの教団(サンガ)が揃い、ここに仏教が成立したことになります。 このような仏教成立のプロセスを見ますと、三宝といっても、三つの宝が別々にあるのでは なく、すべてはお釈迦さまを介した一つの宝であるということがわかります。

入門時に、三宝帰依を唱えるようになったのは後のことで、はじめのころは、お釈迦さまの教えをうけたいと申し出るだけで、お釈迦さまは「来たれ、修行僧よ!」と言われ入門が認められました。そのことも、三宝が根底では一つであることを示しています。

古い経典(「スッタニパータ」)のなかでは、「信仰は種である」、「ひとは信仰によって激流を渡る」、「信仰は父である」などといった表現で、信仰のもつ意味合いが説かれています。種は万物を生み出すもとであり、人生を豊かにし、私たちに生きるよろこびを与えてくれる信仰の力を表しています。

また、この世で父のように依りどころとなるものは信仰であり、三宝帰依を唱えることは、 三宝に対する信、とくに、私たちに真理をお説きになられたお釈迦さまへの絶対的な信を表明することにほかなりません。

そういった意味で、三宝帰依は、昔もいまも変わらず、真の意味で仏教的生活をする者にとっての出発点といえます。


今回は、三宝帰依を通して、仏さまへの感謝を深めていきましょう。

コメント(気づき、発見、疑問、感想等)があれば記入してください。

次回までよろしくお願いします。




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