今回も三帰依(三宝帰依)の尊さ・大切さを、開祖随感(1986年)から学んでいきましょう。
欠点も拝む三宝帰依
こちらの意にそわない相手でも、受け入れられるようにならなくては、平和はきません。
なにかというと、すぐに反発するといった相手は、たいていの人が「あんな人間は相手にできない」と敵に回してしまうのですが、そういう人に対しても自分を抑えて、相手の気持ちになって言い分を聞いてあげる。
その人には、その人なりの考え方、言い分があるわけです。その気持ちを理解してあげる努力をすると、いっぺんにこちらの味方になってくれるのです。どんな人も、本性は本当にきれいなのですね。こっちの接し方で、いくらでもよい面が現われてきます。
完全無欠な仏さまなら信じて疑わないけれども、自分のまわりにいる人は、あの人もこの人も、信じられるような人はいない、というのでは、まだまだ本当に仏さまを信じているとはいえません。
身近にいる人は、アラのほうばかりが見えてしまうものです。その人も仏の子なのだと、その本性を拝めるようになって初めて本当の三宝帰依になるのです。
10月の「佼成」会長先生のご法話の中で、「自分勝手な思いや都合で『せまい』とか『広い』と評価したり、価値判断したりするのはやめようということです。事実を素直に受けとるのです」と教えていただいております。
目が外に向いているぶん、相手のことはよく見えます。見えるといっても、相手のできていないところ、足りないところが目に付くことが多いのではないでしょうか。
自分の評価、価値判断を少し横に置いて、相手の立場になって考えてみること、そして、事実を素直に受けとることを心がけていきましょう。
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次回までよろしくお願いします。
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