今回も、1985年10月の「佼成」開祖さまご法話、「人生は出会いである ~それを活かすにはどうすればよいか~」から学ばせていただきます。
○素直な心と愛情を
「袖すり合うも多生の縁」という言葉があります。ただ道である人とすれ違っただけでも、けっして偶然ではなく、前世から今世にかけてのなんらかの縁があればこそであり、その出会いには必然性があるというのです。
ましてや、同じ家に生まれたり、同じ学校に学んだり、同じ職場で働いたり、あるいは友となり、あるいは夫婦となるなどとなれば、それはじつに深い深い縁につながっているのです。このことを現代人はもう一度よくよく思い返してみることが肝要だと、近ごろつくづくと考えさせられます。
若い男性と女性が簡単に夫婦になり、気にいらなくなったら簡単に別れる。ある会社に就職しても、いやになったらすぐ退社する。
こういった考え方や生きざまでは、どんなに多くの体験を経ても、それが身につきません。人間性が磨かれることもありません。だんだんと軽薄な、場当たり的な、冷淡で愛情のない人間へと低下していくばかりです。
自分自身ばかりでなく、こうした風潮がひろがれば、世の中全体が潤いのない、心の連帯のない、砂漠のような社会に変わっていくこと必至です。
いま子供たちの世界にイジメ行為がはびこっているのも、素因はこうしたところにあるように思われるのです。
ですから、自分をも高め、世の中を温かなものにするためには、どんな小さな出会いでも、その一つ一つを大切にする精神が根本中の根本だと思います。
では、出会いを大切にするというのは、どんなことでしょうか。
第一に、どんな小さな出会いにも、心の扉を開いて素直に対処することです。変な先入観やヒネクレた分別心などを持たず、白紙の心でその出会いを受け入れるのです。
維摩経にも「直心は是れ菩薩の浄土なり」とあるように、素直な心はどんな出会いをも美しくし、価値あるものにします。こちらが心の扉を開けば相手も心の扉を開きますから、そこに魂と魂の交流が生じるのです。
第二に、どんな出会いに際しても、相手に愛情を懐(いだ)くことです。初対面の人に愛情を懐くなんて……と考える人があるかもしれませんが、そんなことはありません。
たとえば、街を歩いているとき道を聞かれたら、あなたはていねいに教えてあげるでしょう。それが愛情を懐いた証拠なのです。
そして、道を教えるというごく小さな行為が確実にあなたを高めるのです。相手の人は「親切な人だったなあ」と感謝の念を持つでしょう。その感謝の念がその人をも浄めるのです。出会いというものを大切にするとは、こんなことなのです。
仏教では「出会い」は偶然ではなく必然と教えていただきます。家族はもちろんのこと、今目の前に出会う人は、出会うべくして出会った大切な人なのです。開祖さまは、出会いを大切にすることの二つ目に、相手に愛情を懐くことを教えてくださっています。この愛情という部分は思いやりと受け止めてもよいと思います。
今回は、出会う相手に素直な心で愛情(思いやり)をもって触れていきましょう。
次回までよろしくお願いします。
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手取りは、 愛薩(あいさつ)行なり。 ① で 愛薩行 ② ふれ 愛薩行 ③ めぐり愛薩行 そこには愛が必要です。 以上です。
手取りとは、 積極的な出会い作りなり。 その出会いを、 まずは よい縁と(す)ること。 次には よい縁に(な)ること。 そして よい縁を(お)りなすこと。 つまり 出会う縁を (す)(な)(お)に 受け入れることなり。 以上です。