開祖さまのご法話には、タイトルに「出会い」とつくご法話が多数あります。前回から「出会い」についてのご法話を紹介しています。
今回から、1993年11月の「佼成」開祖さまご法話、「出会いを大切にする ~来し方をふり返って~」から学ばせていただきます。
○新井先生との出会い
私のこれまでの人生に何千何万という人との出会いがありました。なかでも新井助信先生、長沼妙佼先生、ローマ教皇パウロ六世猊下、グリーリー博士、趙樸初(ちょうぼくしょ)先生、山田恵諦貌下(やまだえたいげいか)といった方々との出会いは私の人生に大きな転機となるものでしたが、とりわけ大きかったのは、法華経を教えていただいた新井先生との出会いです。
次女の羌子(きょうこ)が一歳の夏のことでした。高熱を発して昏睡状態に陥り、近所に慶応病院の小児科の部長さんがおられたので診てもらうと「嗜眠性脳膜炎(しみんせいのうまくえん)だ。すぐ入院しなければ助からんよ」と言われるのでした。そのときふっと思い出したのは、一週間ほど前に飯塚さんという人が置いていった一枚のメモです。飯塚さんはときどきやってきて霊友会の信仰を勧めてくださったのですが、一週間前にこう言ったのです。
「あなたは仏さまに縁のある人です。私は仏さまのお使いで来ているんですよ。幸せというものはいつまでも続くものではありません。一週間か十日のうちに何かあったら、新井助信先生という偉い先生がおられるから、訪ねて行きなさい。ここに住所と地図を書いておきましたからね」
一週間から十日のうちに何かあったらというのは、この子の病気のことかと気がついたら、その新井助信先生を訪ねずにはいられなくなりました。
大雨の日で、下半身ズブ濡れになって訪ねて行くと、小柄な老人がおられて「何でしょうか」と聞かれます。わけを話すとその方が新井先生で、わざわざ私の家まで来てくださって、懸命にお経を上げ、お九字(くじ)を切ってくださいました。するとどうでしょう。ものすごい高熱で意識不明だった子どもの熱がだんだん下がってきたのです。そしてついに全治してしまいました。
新井先生は霊友会の支部長で法華経に精通しておられ、会員にその講義をしてくださいました。私は、その講義を聞いて飛び上がらんばかりの思いがしました。それまでいろいろな宗教を遍歴していましたが、法華経こそは百パーセント人を救う教えだと感激したからです。そして先生の講義を聞くのが楽しく、三年のあいだ先生のお宅に通い続けました。それも一年三百六十五日、一日も休まず、盆も正月もあったものではないといった感じでした。先生はだれかに法華経を説きたくてたまらない、私は聞きたくてたまらない−−その熱意と熱意がピタリと一致したのです。
こうして私の法華経人生が始まったのですが、立正佼成会創立の源はじつに新井先生との出会いにあったのです。
福井教会は、12月10日に教会発足65周年記念式典を迎えます。この65年の歴史の一ページに皆さんの出会いも大きく関係しています。
声をかけていたたいたこと、声をかけたこと、一緒に修行したこと、さまざまな出会いがあったからこそ、今があるのではないでしょうか。
今回は、どんな出会いによって今があるのかを振り返ってみましょう。
次回までよろしくお願いします。
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