「やくしん」という機関誌の特集には毎回学ばせていただくことが多いのですが、過去の記事でも、私がとても参考になるなと思うものがありますので紹介したいと思います。
すべてのものごとは変化する(「無常」)ということを教えていただきますが、つい「固定観念」で他人やものごとを見てしまい、自分で苦を作ってしまうことが多々あります。
今回は、その「固定観念」について、諸富祥彦先生(明治大学文学部教授)の「心に潜む固定観念」(「やくしん」(2010.10月))から学んでみたいと思います。
○人間は観念の動物
私たちはなぜ、固定観念を持ってしまうのでしょう。その大本の要因は、人間は自分の観念(言葉やイメージの総体)にしたがって生きる動物だからです。
人間以外の動物は、本能にしたがって一定の行動パターンを生まれつき持っています。しかし、人間にはそれが無いため、そのつど言葉やイメージ(観念)にしたがって、自分の行動指針を決めるしかありません。
そこで対人関係においても、「Aさんは○○な人」とあらかじめイメージを抱いてしまうのです。そうした思い込みを持つことで、自分が相手に対してどんな対応をすればいいのか選択しやすくなる。また、何よりも自分の気持ちが安定するのです。逆に言えば、そうしたイメージをもっていないと不安になり、ときにどう相手に対応していいのか分からなくなってしまいます。ですから、人間であるかぎり、わたくしたちは固定観念から逃れることができないのです。
しかし、一つの固定的な見方にとらわれてしまうと、支障も生じてきます。例えば相手の否定的な思いこみにしばられると、相手の欠点ばかりが目についてしまい、お互いの関係を良好なものへと発展させる機会を遠ざけてしまうことにもなりかねません。さらに、その思い込みを周囲の人々に広め、共有してしまう場合もあるのです。
「あいつは性格が悪い」という自分の思い込みを仲間と共有化することで、<自分だけがそう思っているのではない。皆と一緒だ>と心の安定を計ってしまうのです。その結果として、特定の相手をみんなで排斥してしまう—。
相手に対する否定的な固定観念は、そんな危険性もはらんでいるのです。
この続きは、次回に紹介します。
人間であるかぎり固定観念をもつことは自然なことなのですね。問題なのは、一つの固定的な見方にとらわれ、しばられること。このとらわれ、しばられることがやっかいなのです。それはとらわれ、しばられている本人がそのことに気づかず、周りに悪影響を与えてしまうことなのですね。
今回は、自分の中で固定的な見方にとらわれ、しばられていることがないか振り返ってみましょう。
気づき、発見、疑問、感想等があれば、コメント入力してください。
次回までよろしくお願いいたします。
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