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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)161号~

特集「あるがままで本領を発揮する」(やくしん 2017.9)の中から、自分の力をより発揮するにはどうしたらよいのかを、心理カウンセラーの丸山弥生さんの記事「一人ひとりが尊い価値をもった存在」を紹介しています。今回も具体的なタイプ別に、自分の力を発揮するためのポイントを学んでいきましょう。


○「こうあるべき」という固定観念の強い人

「べき」とか「ねば」という意識は、何かを達成するための大きなエネルギーになります。しかし、その意識が強すぎると、そのほかの選択肢が見えなくなってしまいます。このタイプの人は、自分の幸せは周りの環境によって実現するものと考えがちです。〈妻はこうあるべき〉〈子どもはこうしなければいけない〉と、周囲の環境を自分の思うとおりにすることで、自分の理想の世界をつくろうとしているのです。

もし自分が一方的に誰かの価値観を押し付けられたとしたら、不快に感じるでしょう。人に対して同じように価値観を押し付けている自分自身の姿を客観的に見てみることも必要です。

自分にとって快適な世界をつくり、そこに安住するのもいいですが、成功や幸せの形は一つでなく、さまざまです。そうしたバリエーションを受け入れることで、人生の楽しみや人間の幅が広がるかもしれません。風に吹かれるままたどり着いた場所で、「へーっ、こんな世界もあったんだ」と楽しむのも素敵です。〈あそこに行かなければ幸せはない〉と思ってしまうと、身近に落ちている幸せを見逃しかねません。「べき」「ねば」の生き方がつらいと感じたら、自分自身の赤信号です。ブレーキを踏んで休息すれば、これまで見えなかったものに気づけることもあるでしょう。


私は自分で「べき」「ねば」という固定観念が強いとは思っていませんでした。しかし、自分を振り返ると、一番身近な家族、特に「子ども」に対しての「べき」「ねば」等と固定観念が強いことを感じました。しかし、他人に対して以上に、自分に対して、「父親としてこうあるべき」「教会長としてこうあらねば」・・・という固定観念で自分をしばっていることが多々あります。たくさんの固定観念にしばられている自分は窮屈ですね。

若い頃は、そのような固定観念で自分を見られると不快に感じ反発していたのに、自分を固定観念という価値観でがんじがらめにしていることに気づくと、可笑しくなってしまいます。

「話すは放す、離す」と教えていただきます。話をすることで、自分自身の固定観念を放し、そこから離すきっかけになると思います。客観的に自分を見られるようになります。

今回は、自分自身が「固定観念」で見ていることがないか振り返ってみましょう。

次回までよろしくお願いいたします。



※写真は福井教会に咲く芝桜です。

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