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後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)176号~

来月の7月15日は盂蘭盆会(うらぼんえ)を迎えます。盂蘭盆会を迎えるにあたって、盂蘭盆の意味を学び、そこから私たちが大事にしていくことを何回かに分けて学んでいきたいと思います。今回と次回は会長先生の躍進ご法話「真実を見る」(2008年.8月)から学んでいきましょう。


○仏さまの尺度

今月は多くの地域でお盆を迎えます。盂蘭盆の語源は、梵語のウランバナを音写したもので、それは「倒懸(とうけん)」<体が逆さまに吊るされること>で、非常な苦しみの意味です。

ものごとを逆さに見たり考えたりする、すなわち何ごとも自己中心にとらえ「自分が正しい」と思い込んでいる状態といえるでしょう。盂蘭盆会の起こりは、目連尊者(もくれんそんじゃ)が「倒懸」の苦しみにあえぐ母を救ったという説話からきています。

逆さまに見たり考えたりするのに対して、「真観(しんかん)」<ものごとの真実をみる>によるのが、仏さまの尺度でものごとを見ることになりましょう。仏さまの尺度とは、諸行無常、諸法無我の真理に照らして見ることです。人と人との間の関係を例にとれば、先入観を持たないことといえましょうか。

先入観があると、好きだ、嫌いだ、役に立つ、役に立たないなど、さまざまな妄想によって、自他の本来の姿が見えなくなり、ギクシャクした人間関係に苦しむことになります。しかし仏さまの尺度で見ると、私たちは大いなる一つのいのちに生かされて生きている同士であることに気づき、すべての人、すべてのものごとが仏身――仏の御いのちの現れと受けとることができるのです。

法華経の如来寿量品に「速(すみや)かに仏身(ぶっしん)を成就することを得せしめんと」とあります。これは衆生が修行して仏になるというより、すでに皆共に仏身を成就していることに気づくこと、との受けとめ方ができます。

盂蘭盆の語源は、梵語のウランバナで、それは「倒懸」<体が逆さまに吊るされること>で、非常な苦しみの意味であり、何ごとも自己中心にとらえ「自分が正しい」と思い込んでいる、ものごとを逆さに見たり考えたりする状態と教えていただきました。

そのように教えていただくと、もし自分自身の中で苦しいと感じている時は、この「倒懸」の状態で、ものごとを逆さに見たり考えたりしていて、「自分が正しい」と自分中心になっている状態なのだと受け入れることが大事なのだと思います。

そして、「倒懸」の状態から、「真観」<ものごとの真実をみる>による、仏さまの尺度(諸行無常・諸法無我の真理に照らして見る)で見ていくことが大事なのですね。

まずは、自分自身の中で「倒懸」の状態になっていないか振り返ってみましょう。

次回までよろしくお願いします。




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