今月の7月15日は盂蘭盆会(うらぼんえ)を迎えます。盂蘭盆会を迎えるにあたって、盂蘭盆の意味を学び、そこから私たちが大事にしていくことを何回かに分けて学んでいきたいと思います。今回も、会長先生の躍進ご法話「真実を見る」のご法話に学ぶ・教務部編(2008年.8月)から学んでいきましょう。
○ものごとの真実をみる
法華経では、すべての人が仏になれる可能性を持っていることが説かれ、すべての人に仏性が具わっていると教えていただきます。自分の我を捨て、真っ白な心で相手の仏性を拝むことを心がけたいものです。
「真観」(ものごとの真実をみる)に立つと「私たちは大いなる一つのいのちに生かされて生きている同士」と見えてきます。すべてが「仏の御いのちの現れ」というのが、この世の中の「実相」です。仏さまにご守護いただき、周りに支えていただいて今の自分があることを実感し、仏さまに感謝するとともに、家族をはじめ周りの人に「ありがとうございます」と言えるような自分にならせていただきましょう。
〇たくさんの人との出会いを通して
「見るもの、聞くもの、一切が仏さまのお声であり、お相(すがた)ととらえていく——それは、森羅万象、宇宙間に存在するすべてのものごとを合掌礼拝することでもあります」と会長先生は教えてくださいます。このように「すべてを仏身」と真観していくためには、具体的にどうしたらいいのでしょうか。それにはまず仏さまは、私たちを仏の子として見て下さっているという自覚を持ち、たくさんの人との出会いを持つことが大切です。たくさんの出会いや経験が先入観をとりはらい、人さまを拝む心を養ってくれるのです。それはつまり、今年、会長先生からお示しいただいた「導き•手どり・法座」という基本信行を実践していくことです。私もあなたも仏の子であると自分の心に言い聞かせ、他者を合掌礼拝していくことによって、「真実を見る眼」が養われていくのです。
以前のいい福通心で、盂蘭盆の語源は、梵語のウランバナで、それは「倒懸」<体が逆さまに吊るされること>、非常な苦しみの意味であり、何ごとも自己中心にとらえ「自分が正しい」と思い込んでいる、ものごとを逆さに見たり考えたりする状態と教えていただきました。
そして、「倒懸」の状態から、「真観」<ものごとの真実をみる>で見ていけるように私たちは日々修行しています。
「見るもの、聞くもの、一切が仏さまのお声であり、お相(すがた)ととらえていく——それは、森羅万象、宇宙間に存在するすべてのものごとを合掌礼拝することでもあります」と会長先生は教えてくださいます。このように「すべてを仏身」と真観していくために、一人ひとりを大切に「導き•手どり・法座」という基本信行の実践をしています。盂蘭盆会を迎えるこの時、基本信行の実践を通して、私もあなたも仏の子であると自分の心に言い聞かせ、他者を合掌礼拝していくことによって、「真実を見る眼」を養っていきましょう。
次回までよろしくお願いします。
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