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後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)177号~

今月の7月15日は盂蘭盆会(うらぼんえ)を迎えます。盂蘭盆会を迎えるにあたって、盂蘭盆の意味を学び、そこから私たちが大事にしていくことを何回かに分けて学んでいきたいと思います。今回も会長先生の躍進ご法話「真実を見る」(2008年.8月)から学んでいきましょう。


○一切が仏のすがた

法華経には、諸法実相(しょほうじっそう)ということが説かれてあります。『佼成新聞』紙上(平成15年10月5日号)で、臨済宗の僧侶・「南無の会」会長の松原泰道師は、道元禅師の「峯の色渓(たに)の響きも皆ながら わが釈迦牟尼の声とすがたと」の和歌を紹介したあとで、次のように述べられています。「『山の色・渓川(たにがわ)の音も皆ながら(すべてが)わが釈尊のお声と、お相(すがた)に外ならない』と、(道元は)諸法実相を詠(よ)みます。大乗仏教では、人間(肉身)釈尊ではなく、釈尊がさとられた目に見えない法を人格化して『法身(ほっしん)』と信仰します。森羅万象(しんらばんしょう)の諸法を、釈尊のさとりの象徴と仰ぐのです」。

見るもの、聞くもの、一切が仏さまのお声であり、お相ととらえていく--それは、森羅万象、宇宙間に存在するすべてのものごとを合掌礼拝することでもあります。とくに、身近な家族一人ひとりに「仏身(ぶっしん)」を見いだして合掌できたら、すばらしいなと思います。

私たちは、人やものごとを見ていく時に、自分の価値観という色眼鏡をかけて見ていくことが多いのではないでしょうか。ずっとその色眼鏡をかけたままだと、かけていること自体忘れてしまっていて、人やものごとに対して、決めつけたり、固定観念をもったり、とらわれたりすることで、自分で苦を作っていることがあります。

以前、自分の色眼鏡ではなく、仏さまのような見方、ありのままを見ることができる眼鏡があって、それをお借りできたら楽だろうなと思った時がありました。

しかし、少しずつ学んでいくと、仏さまのような見方ができる眼鏡、「法・教え」という眼鏡は用意されていたのに、私自身がかけることをしなかっただけだったのだと気づきました。

それは、特別な人しかかけることができない眼鏡ではなく、「その眼鏡で見てみたい」と求める方には自由に使用できるものなのです。ただし、その眼鏡で見ていくには、コツが必要なのですね。どんなコツでしょう。それは、「素直」というコツです。

「素直」な気持ちで、もう一度、上記の「一切が仏のすがた」をお読みいただけたらと思います。

次回までよろしくお願いします。



写真は勝山支部の表札の上にツバメの巣です。見えにくいかもしれませんが、🐣ひなも少し顔を出しています。今年初めて巣を作ったようです。

勝山支部の皆さんに温かく見守られてスクスクと育っています。

無事巣立つことを願っています。

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