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後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)181号~

今回もこの時期にきれいに咲いている「蓮」のご縁で、会長先生のご法話「蓮の花にように」(佼成2009.9)から学んでみましょう。


蓮華(れんげ)の説く法といえば、妙法蓮華経は「世間(せけん)の法に染まざること 蓮華の水に在(あ)るが如(ごと)し」などの譬(たと)えによって、古来、たくさんの人に生きる喜びと勇気を与えてきました。

なかでも、提婆達多品(だいばだったほん)の「若(も)し仏前(ぶつぜん)にあらば蓮華より化生(けしょう)せん」は、たとえ悪人でも仏さまの教えを聴く機会に恵まれれば、蓮の花のように汚(よご)れに染まることなく、清らかな境地に達することができる、と教える意義深い一節です。

これはまた、つらいことばかりと思える苦しい境遇にあったとしても、ご法を信受(しんじゅ)すれば、その場でたちまち人生が明るく転換すると教えてくださる、仏さまからの力強いメッセージと受け取ることができます。

蓮の花の寿命はわずか四日で、早朝に開花し午前中ないし午後三時くらいにはつぼむ(日により時刻は変わる)、それを三日くり返し、四日めには散ってしまいます。

蓮の花というと、私はまず汚泥(おでい)に染まらぬ清らかさと、無常法(むじょうほう)のはたらきの厳粛(げんしゅく)なさまに心打たれるのです。

いつの世にも、つらく苦しいことは存在します。けれども、困難が多いと感じられる時代ほど、蓮の花がもつこうした意味合いは深みを増すように思います。

蓮の花が美しく咲くには、泥が必要だといいます。これはどんなことを私たちに教えているのでしょうか。

泥はしばしば世の中の悪い風潮や、苦しみや悲しみをもたらすできごとにたとえられます。それに溺(おぼ)れたり沈んだりしない、というのが「染まらず」の意味するところです。そして、恨(うら)みごとを言いたくなるほど悪い世の中も、自分にとって不都合なできごとも、見方を変えて「これも私に大切なことを教えてくださる仏さまの説法なのだ」ととらえると、どれもが滋味(じみ)豊かな糧(かて)であることがわかります。仏さまは、蓮をとおしてそのことを教えてくださっています。

苦を味わえばこそ、人さまの辛苦(しんく)に共感できます。失敗や挫折は、謙虚さを教える慈悲のはたらきかもしれません。病気もまた、いま生かされていることに感謝できる心を育てる機会と言えます。

つまり泥中(でいちゅう)に大輪の花を咲かせる蓮のように、苦を体験することで人間もまた大きく成長し、ほんとうの喜びや感謝が生まれてきます。


今回も、「蓮」の特徴を意識して、現実の苦や悩み(泥)に染まらず、それを成長の糧にできるように取り組んでいきましょう。

次回までよろしくお願いします。




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