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後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)190号~

今まで「道場観」「即是道場」について学んできました。今回は、今までのまとめとして、『やくしん』(2019.7)の会長先生法話録「いつもどこも修行の現場」から学んでいきましょう。


私たちは、朝夕(ちょうせき)のご供養で、まず『道場観』を唱(とな)えます。その冒頭に「是(こ)の處(ところ)は即(すなわ)ち是れ道場なり」とあります。易(やさ)しく表現すれば、「まさにいま、私たちが生きているところは、ご法の実践の場であります」という意味です。

道場というと、普通は、大聖堂や教会などを思い浮かべがちです。しかし、在家(ざいけ)仏教では、会社で働いている時、通勤・通学で電車やバスに乗っている時、あるいは家で洗濯や掃除をしている時、食事をしている時、家族と話している時……毎日の生活のすべてを修行の場、つまり道場と受け取るのです。

とりわけ家庭は、人格形成の一番の根本(こんぽん)道場です。長い人生の間には、子供、夫や妻、親、それぞれに問題が生じます。その悩み、苦しみを経験することで、自分を見つめ、仏法(ぶっぽう)を真剣に求めて、人間としての真実の生き方を探(さが)し出していきます。

また家庭は、他の場所とは違い、最もわがままの出やすい所です。特に夫婦の間では、言いたいことを言っていい、ストレスを発散できる、甘えられるなどと考えがちです。そうした中にあって、感情を豊かにし、仏法に適(かな)った言動を心がけることは、自分を磨く何よりの鍛錬(たんれん)となります。そしてやがては、家族がお互いに愛し、尊重し合い、支え合って、いつも合掌・礼拝(らいはい)のできる人間になることが、在家仏教の最も大事なところです。

出家(しゅっけ)の僧侶(そうりょ)の方々は座禅(ざぜん)や荒行(あらぎょう)などの厳しい修行をされますが、それに勝(まさ)るとも劣らない修行ができるのであります。

「是の處は即ち是れ道場なり」 — このことを常に心して精進してまいりましょう。


毎日の生活のすべてを修行の場、つまり道場と受け取り、生活の中で感情を豊かにし、仏法に適った言動を心がけることは、自分を磨く機会となります。

しかし、その中で、自分に近い関係、例えば家族や友人などには甘えも出やすく、相手を理解するより理解してほしいという気持ちをぶつけることもあるのではないでしょうか。だからこそ、お互いに尊重し合い、支え合って、いつも合掌・礼拝のできる人間になれるように、今ここで私ができることに真心込めて取り組んでいくことが、私たちにとって大事なところだと思います。

今回は、自分のいる場所でどのような修行をしていきますか?できることに真心込めて取り組んでいきましょう。

次回までよろしくお願いします。





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