今回も、幹部向け冊子『求道』に掲載された(「『道場観』をしっかり保つなかで」(1998.8)から、「道場観」「即是道場」について学んでいきたいと思います。
私を育ててくださった野崎修代元理事さんから、かつてこんな話を聞いたことがあります。
自宅で法座をしているとご主人が現われ、まだたたんでいない洗たく物を法座の輪のなかに広げてこう言うのだそうです。
「話は上手だが、これはなんだ。言うこととやることが違うじゃないか」
たいていの人は、いま、そんなことをしなくてもいいのにと一瞬、反発心が起きるでしょうが、野崎さんはこうこたえたのだそうです。
「ほんとうですね。私のだらしなさ、大ざっぱな点を教えていただき、ありがとうございます」
そう言って、洗たく物をすぐさまきちんとたたみ、しまわれたそうです。すると、ご主人はまた別の不足を探してつぎつぎと訴えるというのです。
それらすべてに対して、野崎さんは「ほんとうですね」と素直に謝っては改善していき、心と行ないをととのえられたとのことでした。
ふつうなら「何もいまここで」と不愉快になるような言葉も、仏さまの説法と受けとめる。これが、まさにあらゆる時と所を道場にしていく即是道場の心ではないでしょうか。
このように、いつでもどこでも道場観をしっかり保てれば、家族の調和がもたらされるだけでなく、相手から学ぶこともできるので自分自身が向上し、磨かれていきます。
佼成会の信仰は、一人で仏になる教えではありません。その名のとおり、人さまと交わりながら人格向上に努めることが大前提です。また、法は目に見えるものではありません。
それを実生活の場で行為にあらわすのが、在家信仰者の大事であると私は思います。
そのためにも、仏さまと向きあう習慣を身につけ、いつでもどこでも道場観をしっかり保ち、お互いさま精進に努めていきたいものです。
私はこの内容を読ませていただき、とても感動しました。私自身、言葉では「即是道場ですよ。この場が修行の場ですよ」とは言っていても、自分にとって不都合なことが出てくると、言い訳したり、文句や愚痴を言ったり、不平不満、泣き言、悪口を言ってしまうことがあります。
しかし、今回の先輩幹部さんのように、言われることを「そうですね」と受け容れ、すぐに改善していく姿を教えていただくと、私も少しでもお手本としてそのような自分に近づいていきたいと思う心が湧いてきます。
「感動とは感じたら動くことであり、実践すること」とも聞いたことがあります。出てくることを「仏さまの説法」と受け止め、実生活の場で一つからでも行為にあらわしていきたいと思います。
次回までよろしくお願いします。
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