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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)185号~

今回も、臨済宗禅僧、藤原東演さんの『やくしん』(1999.7)記事から、「道場観」「即是道場」について学んでいきたいと思います。

「随所(ずいしょ)に主(しゅ)と作(な)れば、立処皆真(りっしょみなしん)なり」の言葉は、どんなときでも、どんな状況にあっても、その場で主体的に生きることの大切さを教えてくださっています。

これは、つまり、いま、自分がなさねばならないことに集中し、心を尽くして我(われ)を忘れるということです。そのとき、その場と一体になるということです。

私たちの日常生活はどうでしょうか。ここに居ても、心ここに在らず。そんな“幽霊状態”のときが、あまりにも多いように思います。

一服のお茶をいただくときも、考え事をしていたのでは、お茶の味は分かりません。お茶をいただくときは、考え事があろうとも、頂戴したひとときを感謝していただく。「ああ、おいしいなあー」と味わう。お茶と一体になる。そうした状態になってこそ、一服のお茶をいただくその時間が、生き生きと、価値あるものになるのではないでしょうか。

※「随所(ずいしょ)に主(しゅ)と作(な)れば、立処皆真(りっしょみなしん)なり」

—どこにいても自分が主人公であれば、自分の立っているところすべてが真実である。―

『臨済録(りんざいろく)』に記されている言葉

お盆休みを家族で過ごしている方も多いのではないでしょうか。私も家族と過ごす時間をいただき、子どもたちとともに両家の両親のところに行く予定です。久しぶりに両親や家族と会っているのに、他のことを考えその時間を大切にできていなければ、心ここに在らずの“幽霊状態”です。今、この場、目の前の人を大切に、目配り、気配り、心配りを実践していきたいと思います。

今回は、自分のいる場所で、目の前の人に喜んでもらえることに取り組んでいきましょう。

次回までよろしくお願いします。


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