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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)186号~

皆さん、台風の影響はいかがでしたか。各地に大きな被害をもたらした台風ですが、いつ災害が起こるかわかりません。普段より、災害に対しての備えをしておくことが大事です。また、心もさまざまな条件によって被害にあいます。そのために心の具えも大切になってきます。今回も、臨済宗禅僧、藤原東演さんの『やくしん』(1999.7)記事から、「道場観」「即是道場」について学んでいきたいと思います。


とかく私たちが「心ここに在らず」という精神状態に陥(おちい)りやすいとき、それは、困難に遭遇(そうぐう)したときでしょう。

現実を受け入れられず、逃避(とうひ)しようと思うあまり、「自分が苦しいのはあの人のせいだ」と、人を責めたり、「この状況が変わらなければ、私は幸せになれない」「こうなってくれさえすれば」と、自分の願いや望みに固執し、相手や環境、条件の方に変革を求めます。

しかし、当然ながら、自分が何の努力もせずに、相手や状況が望む通りに変化してくれることなどは、そうあり得ることではありません。

相手や状況は、どんなに望んだところで変えることはまず不可能です。そうです、悩んでもしかたのないことを悩んでしまうのです。こんな“思考ぐせ”がついてしまうと、ますます深みにはまって、苦しみはいっそう膨(ふく)らみます。それは、自分を不幸にするだけでなく、すごくもったいない時間の過ごし方です。

結局、腹をすえて、現実を受け入れるしかないのです。そのとき、そこが修行の場です。遭遇した現実から逃げ隠れせず、じっくりと味わうことです。

苦しいときは、とことん苦しみ、悲しいときはとことん悲しむ。苦しみ、悲しみと一体になる。すると、自分にできることは何か、何をすべきかが見えてきます。そしてなすべきことの一つひとつを行動に移す。焦らず、ゆっくり、一歩一歩を刻んでいく。それが主体的に生きるということです。

この世の中で、 ほんとうに確実なこととは何でしょうか。それは、「現在只今、ここに、私自身がいる」ということだけなのです。それ以外のことは、まったく虚(うつ)ろであてにならない。

「即今三世(そっこんさんぜ)」といって、いま、ここに、過去、現在、未来があるというのです。「いま」は過去の集積であり、「いま」のあなたの結果が未来になります。つまるところ、地に足をつけて、「いま」という時間を精いっぱい生ききるしかないのです。


「いま、ここに、私がいる」。そのことを忘れて、他人任せにして、文句や愚痴、不平不満、泣き言、悪口を言って、無駄な時間を過ごしている自分がいます。それに気づいたら、気づいた“いま”からそのことを止める。そして、自分ができることに“いま”からコツコツと取り組んでいく。

しかし、また、時が過ぎると、また同じことを繰り返してしまうこともあります。また、気づいたら、気づいた“いま”から止めて、為すべきことに“いま”からコツコツと取り組む。

同じような繰り返しに見えますが、螺旋階段を上るように、一段一段上がっていきたいと思います。

今回も、自分のいる場所で自分の為すべきことにコツコツと取り組んでいきましょう。

次回までよろしくお願いいたします。




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