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後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)200号~

更新日:2月15日

教会長のいい福通心も200号を迎えました。皆さんお読みいただき、誠にありがとうございます。今後も、仏さまの教え、佼成会の教え等を紹介していきます。よろしくお願いいたします。

「会員綱領」の内容について学んでいます。今回は「仏教の本質的な救われ方を認識し」の部分です。

「やくしん(2019年6月~8月号)の特集、「私の『会員綱領』」から引用しています

「仏教の本質的な救われ方を認識し」

○真の救いとは

新しい年を迎えると、多くの人が神社仏閣に出かけます。普段、「自分は信仰と無縁」と考えている人でも、神仏に対し、「家内安全」「商売繁盛」といった願いを立てるのではないでしょうか。

人は誰もが「幸せになりたい」という気持ちをもっているのです。

会員綱領に、「本質的な救われ」とありますが、一般的に「救い」とは、自分の願い事が叶うことであると考える人が少なくありません。わが子が有名大学に合格した。夫が出世した。念願のマイホームを手に入れた……。こうした願いが叶えばもちろん幸せな気持ちになれます。

しかし、一方、交通事故に遭ったり、人間関係のトラブルに巻き込まれたり、病気に罹(かか)ったりしたらどうでしょう。途端に「神や仏もあったものではない」という思いになってしまうこともあるでしょう。人の心はあやふやなものです。

では、「本質的な救われ」とはどのようなことでしょう。

端的に言えば、自分の内面にある尊いものに目覚め、気づくことにほかなりません。たとえ、置かれている環境に変わりがなくとも、自分の心のありようが変わることでまったく違う受けとめ方ができるようになるということです。

開祖さま、会長先生が教えてくださった心のあり方を一つ一つかみしめながら、自己を内省する。そのくり返しの実践です。さらに、目先の救われに満足せず、他の人も共に幸せに導くことが本質的な救われにつながることなのです。

私たちは、自分の思った通りの状態になれば、「一生懸命修行したからご守護いただいた」と思って有頂天になることがあります。また、思った通りではないことが出てくると、「なぜこんなに一生懸命にしているのに」と愚痴が出てくることがあります。

このように、私たちは現象の結果に一喜一憂することがありますが、その過程の中で、自分の心のあり方をみつめ、心の変化をしっかりと味わっていくことが大切なのだと思います。そして、一見救いがないように思うことの中にも、救われがあることを見つけていくことを大事にしていきたいと思います。

次回までよろしくお願いいたします。












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