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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)202号~

「会員綱領」の内容について学んでいます。今回から「在家仏教の精神に立脚して」の部分です。

「やくしん(2019年6月~8月号)の特集、「私の『会員綱領』」から引用しています。


「在家仏教の精神に立脚して」

○仏教の生活化

俗世間から離れ、生活すべてを仏道として歩む「出家仏教」に対して、立正佼成会の信仰は、社会生活のなかに仏さまのみ教えを生かしていく「在家仏教」であり、「生活仏教」です。一人ひとりが家庭人として、社会人として、毎日の暮らしのなかで仏さまの教えを実践しています。

朝起きて洗面し、お給仕をしてご供養するときも、お役や仕事、家事に打ち込むときも、家に帰って食卓を囲み、眠りにつくときも、そのすべてに信仰を観ずることができ、習学をいただくことができるのです。

つまり、在家仏教の精神を端的に言い表せば、「信仰即生活・生活即信仰」であるといえます。日々の生活そのものが私たちの修行の場であり、信仰と生活は切っても切り離せない関係にあるからです。

開祖さまはかつて、清水寺貫主(きよみずでらかんす)の大西良慶(おおにしりょうけい)和上(わじょう)からこんなお言葉を頂戴したそうです。

「過去の宗教は大きな建物ができると、そこでだいたいがストップしてしまって、それ以上前進しなくなるし、むしろ後退する恐れさえあるのだが、あなたのところはそうじゃない。生きている人間仏教だから、人々もどんどん増えていく。いま、最も大事なのはその人間仏教を弘めることだ」

大西師の言葉を受けて、開祖さまはこう述べられました。

「世界を本当に平和な寂光土にしていくためには、まず在家の者が仏教を体得しなければなりません。どんなにお寺さんの宗教が盛大になっても、私どもが〈人間仏教〉〈在家仏教〉の精神に立脚して、教えを生活に生かしていかないかぎり、仏教の持つほんとうの意義を果たすことはできないのです」(『庭野日敬法話選集』3)

サンガとのふれあいで培った思いやりや奉仕の精神を家庭や職場、地域で生かしていく。そうした実践によって、一隅(いちぐう)を照らす灯(あか)りとなる ― それが開祖さまの願われる私たちの生き方であり、功徳ではないでしょうか。


私たちの日々の生活そのものが修行の場であり、信仰と生活は切っても切り離せない関係にあります。在家仏教の精神を端的に言い表せば、「信仰即生活・生活即信仰」であると教えていただきました。即というのはイコール(=)ということです。しかし、実際には信仰と生活が別々になってしまっていることはないでしょうか。

もう一度、自分の生活を振り返り、思いやりや奉仕の精神を生かしていくために、目の前の人に喜んでもらうこと、例えば、「笑顔で声をかける」ことを実践させていただきましょう。

次回までよろしくお願いします。




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