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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)209号~

昨日、12月21日は福井教会発足66周年を迎えました。福井教会に携わる皆さんお一人お一人の救い救われの物語が関係し合いながら、66年の歴史を紡いで来てくださったことに感謝申し上げます。そして、皆さんと一緒に救い救われの物語を進めていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

「会員綱領」の内容について学んでいます。今回も「多くの人々を導きつつ自己の練成に努め」の部分です。

「やくしん(2019年6月~8月号)の特集、「私の『会員綱領』」から引用しています。

○相手は自分を映し出す鏡

仏さまのみ教えをもとに日常生活を送ることが信仰をもつ私たちの理想です。ところが、日々の生活や人間関係のなかで、自分の成長が感じられずに落ち込んだり、他の人と比べて卑屈になったりすることもあります。

私たちにとって、理想と現実の溝を埋めるために必要なものとは何でしょう。それは、とりもなおさず「自己の練成に努める」ために「内省」することと、会長先生は教えてくださいます。

「宗教の本質は内省です。(中略)反省は、日ごろの自分の一つ一つの行為を省みることですが、内省は、個々の一つ一つの行為だけではなく、自己の内面、自分そのものを全体的に見つめることです。日ごろの自己の、あれこれという断片的なことを見るのではなく、人間そのものを全体に見ることです」(『心田を耕す』)

私たちがふれあう相手は、自分を映し出す鏡のようなものだといわれます。得てして、導きや手どりでふれあう人が自分と同じような悩みや問題を抱えていたり、自分と同じような性格の人であったり、というのはよく耳にすることです。

その相手の言動に、「この人の悩み苦しみを深刻にしているものは何だろう」と思いを寄せ、さらに、それをそのまま鏡に映った自分の姿として受けとめると、「自分にも同じものがあった」と気づくことがあります。

相手の姿をとおして自己を省みることで、自らの至らなさに気づかされるのです。導きや手どりは、まさに自己を見つめる契機となります。

お役や仕事、家事に忙しい日々を送る私たちですが、一日に一度は立ち止まり、自己を内省する時間をもってみてはいかがでしょうか。朝夕の読経供養の時など、とてもいいチャンスです。内省の習慣を身につけ、自らの仏心を観じ、ふれあうすべてのものに「合掌・礼拝(らいはい)・讃嘆(さんたん)」できる信仰者へと心を深めさせていただきたいものです。 

サンガという同じ教えを信じ、行じている仲間と一緒に修行ができる有り難さを強く感じる時があります。それは、サンガとの出会いの中で、相手を鏡として自分を振り、自己の至らなさや自分の気づいていなかった部分にも気づかせてもらった時です。相手という鏡は高性能で、自分の見えている以外の気づいていないところも写し出してくれます。そのことによって、深く自分を知ることができるのです。目の前の相手を鏡として、自分をしっかり見つめていきましょう。

次回までよろしくお願いします。




写真は佼成幼稚園の園児が作成したペットボトルで作ったツリーです。

西武8階のレストラン街に飾ってあります。

皆さんご覧ください。^_^

(2023年12月22日現在)

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