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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)208号~

今年も残り2週間になりました。雪も降り、急に寒くなってきました。皆さま、どうぞ健康にお過ごしください。

「会員綱領」の内容について学んでいます。今回から「多くの人々を導きつつ自己の練成に努め」の部分です。

「やくしん(2019年6月~8月号)の特集、「私の『会員綱領』」から引用しています。

「多くの人々を導きつつ自己の練成に努め」

○説かざる罪の自覚

日本は戦後七十年間に国内総生産(GDP)が急成長し、現在も世界三位を誇っています。一方、今年(2019年)の世界幸福度ランキングでは五十八位と発表されています。経済的には豊かであっても、それで日本人が幸福を感じているかといえば、そうでもなさそうです。

ややもすると人間は、自分さえよければいいという自己中心の心で行動してしまいます。欲を募らせた者同士が角を突き合わせ、生きがいを失ってしまうようなことを見せられるのは現代社会においても決して少なくありません。

だからこそ、仏さまのみ教えをもとにお互いに助け合い、分かち合って生きる潤いのある社会を実現しなければなりません。

会長先生は、仏さまの教えを知りながらそれを人さまにお伝えしきれていない「説かざる罪」について、次のように述べられています。

「信仰者として反省・懴悔(さんげ)の念を抱かざるをえないというのが偽(いつわ)りのない心境です」(『躍進』2003年1月号)

私たちには、人間らしい生き方を人さまにお伝えしていく使命があるという観点からすると、連日のようにニュースで知らされる悲しい出来事にも「説かざる私」の責任は大きなものといえます。

『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』に、「自未得度先度他(じみとくどせんどた)」という一節があります。これは、自分より先に他を救うことが私たちにとって本当の救いであるということです。そこに菩提心があり、他が救われてこそ自らも救われるという菩薩の教えです。

宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という一文も、人さまの救われがそのまま自己の救いとなるという精神そのものです。これが、「多くの人々を導きつつ」に込められた自体一体感なのです。

開祖さまのご法話の中でも、「説かざる罪」ということが出てきます。それぞれの地域で痛ましい事件などがあると、他人事ではなく、「説かざる罪」として自分事として受け止め、仏さまの教えが行き届いていないことを懴悔されるお姿を学ばせていただきました。

まずは、身近な方、出会う方に、教えによって救われた喜びを、自分の持てる力でお伝えしていきましょう。

次回までよろしくお願いします。




写真は壮年さんが作ってくださった「松飾り」です。

壮年の皆さんのお陰さまでお正月の準備もできました。

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