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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)203号~

「会員綱領」の内容について学んでいます。今回も「在家仏教の精神に立脚して」の部分です。

「やくしん(2019年6月~8月号)の特集、「私の『会員綱領』」から引用しています。


○一人ひとりが地涌(じゆ)の菩薩に

法華経の「従地涌出品(じゅうじゆじゅつほん)」には、仏さまが在家仏教徒に衆生の教化を託される場面が出てきます。

仏さまが「私の滅後、仏の理想を実現できる者は、地涌の菩薩をおいてほかにいない」と述べられると、地中から金色に輝く無数の菩薩たちが現われ、娑婆世界での布教という任務を与えられます。

仏さまは衆生の教化救済を、ほかの誰でもない、地涌の菩薩たちに託されました。娑婆世界を生き抜くことの切なさ、悲しさ、つらさを自ら味わった者こそ、人さまの苦しみ、悩み、喜びを共に身に感じ、救うことができる人だ、と受けとめることができます。

地から現われた無数の菩薩は「八万の大士」といいます。八万の大士は自ら誓願して、迷っている人や苦しんでいる人の救済のために生まれてくると、前世において仏さまに約束された菩薩です。それが信仰をいただく私たちの真の姿なのです。

信仰さえしていれば嫌な事に一切出合わずに済むかといえば、そんなことはありません。信仰をしていても、さまざまな困難に直面します。つらい出来事や人間関係に苦しみ、「なぜこんな思いをしなければならないのだろう」と愚痴をこぼすこともあるでしょう。しかし、その苦難に直面したとき、それに立ち向かう勇気をもらい、苦しむことの意味に気づかせていただけるのが信仰の有り難さです。

開祖さまは、困難な問題にぶつかると「これはますます面白くなってきたぞ」と、おっしゃいました。私たちは本来、〈より良く成長したい〉〈人のために役に立ちたい〉という大本の心をもっています。その真実が見えてくると、たとえ不都合なことが目の前に現われたとしても、さらに歩み続けることが私たちの生きている大きな証(あかし)であり、自らを輝かせることなのだと分かるのです。


11月15日は開祖さまの生誕会を迎えました。開祖さまは法華経の教えを基盤に、私たちが日常生活を送りながらも、仏になる道を示していただきました。

私たちは、日常生活をしながら、いま、この場が修行の場であることを意識して取り組むことが大事だと思います。それは、自分のいる家庭や職場、地域の中で、目の前の人に喜んでもらえるように、挨拶からはじまる思いやりの言葉かけや相手の話を丁寧に聴くこと、また、頼まれた仕事など、一つ一つのことを丁寧に取り組んでいくことであると受け止めています。

まずは、目の前の人に喜んでもらえる、自分のできることに取り組んでみましょう。

次回までよろしくお願いいたします。




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