「会員綱領」の内容について学んでいます。今回は「人格完成の目的を達成するため」の部分です。
「やくしん(2019年6月~8月号)の特集、「私の『会員綱領』」から引用しています。
「人格完成の目的を達成するため」
○仏になるということ
一般的に信仰というと、家庭不和や病気といった現実の苦悩からの救われを願ったり、家内安全や商売繁盛などの願望を叶(かな)えたりするものといった印象があります。それも、信仰生活への機縁であり、「幸せになりたい」という願いの表われですから、決して否定されるものではありません。
けれども、目先の問題が解決したり、願望が叶ったりしても、それはまた、いつ変化するとも限りません。そのたびに一喜一憂をくり返していたのでは、人生の真の喜びや意義を見出すことはなかなか難しいものです。
仏教は、「仏になるための教え」です。仏になるとは、「成仏」(人格完成)を目指し、生き方を調えていくことです。
開祖さまは、私たちが精進する目的を次のようにご指導くださっています。
「仏になると聞いても、ピンとこない人がいるかもしれません。仏というと、私たちとまったく違う特別な存在のように考えがちなのですが、そうではありません。人の心はどんなふうにはたらくものか、この社会で起こる出来事は、どうしてそうなるのかを、手に取るように見通すことができる人、そして、どんな人をも受け入れ、どんな問題にも正しく対応して解決していける人。自分が置かれたその場その場で自分の役をきちんと果たし、人に感謝され、心から人に尊敬される人格を具える・・・・・・それが仏になることです」(『開祖随感』8)
つまり、私たちが精進に励む目的は、本来自分に具わっている「仏性(ぶっしょう)」、すなわち「本来の自分」を発見することです。それには、自分のなかにある光を見逃さない「智慧(ちえ)の眼(まなこ)」をもつことです。「智慧の眼」があれば、すべての人が余すことなく幸せになるために生まれてきたのだということが見えてくるでしょう。笑顔の人も、怒っている人も、悲しんでいる人も、つらい思いをしている人も、すべての人が幸せになるために生まれてきて、その道を歩んでいます。さらに智慧の眼で世の中を見渡すとどうでしょう。どんな人も神仏につながる種を宿した尊い存在であり、出会いに学び、悩み、深めるからこそ、私たちの人生が輝くことが理解できるのです。
私たちが修行をしていく目的は、仏になることであり「人格完成」です。
いつも相手の言葉や行動の奥にあるあたかかいものを見つける努力を重ねて、自分もあたたかい言葉をかけていく。そのようなあたたかい出会いをくり返すことで、人格完成に近づいていくのではないでしょうか。私からあたたかい言葉をかけていきましょう。
次回までよろしくお願いします。
教会の庭木の雪吊りも壮年さん方にしていただき、冬を迎える準備もしていただきました。
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