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後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)213号~

今回も「会員綱領」の最後の部分、「菩薩行に挺身(ていしん)することを期す」の部分を学びます。「やくしん(2019年6月~8月号)の特集、「私の『会員綱領』」から引用しています。


○「誰かのために」できる喜び

悩んでいる人の力になってあげたい、悲しんでいる人の支えになりたいと寄り添う。そうした心で身を動かしているとき、「やらされている」という意識はどこかへ行っているはずです。それは「そうせずにいられない」という私たちの本性が、まさに発揮されているからです。

会長先生のお言葉からも明らかです。

「菩薩行するとなぜ幸せになれるのかといえば、我(われ)を忘れて人に尽くしているときこそが、人間の最も満足できるときだからです。感謝のできる人間になる、人に喜びを与えることのできる人間になる――これが幸福になる大事なポイントです」(『心田を耕す』)

相手が喜んでいる顔を見ていると、自分もうれしさを感じることがあります。相手のうれしさを、自分のうれしさと思える。その気持ちの一体感が、心に安らぎを生み出してくれるからです。

雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ/欲ハナク/決シテ瞋ラズ

これは宮沢賢治の作品『雨ニモマケズ』の一節です。『法華経』に精通していた賢治は世の中のすべてのものが大いなる一つのいのちであると考えていました。ですから、賢治の目には、貧困に苦しむ人びとの姿が自分の苦しみとして映っていたのでしょう。心に描いた理想郷をイーハトーヴと名付け、仏の永遠の生命を信じて童話を創作した賢治は、この信念のままに一生を人びとの幸福のために捧げました。

世のため人のために生きる。その生き方はすべてのものが大いなる一つのいのちを生きる兄弟姉妹であるという智慧から生まれた菩薩の生き方でした。

菩薩の要件の一つに「同事(どうじ)」があります。同事とは相手と同じ立場に身を置くことです。観世音菩薩は、助けを求める人の声を聞くと、その人にふさわしい姿で身を現わされて、相手に寄り添い、「つらいね。でも大丈夫」とおっしゃってくださいます。私たちも相手と同じ立場に身を置いてふれあうと、たとえその人が口に出さなくても、胸に抱いている思いが伝わってくることがあります。

大切なのは人さまの幸せを念じる心です。「教えをお伝えしなければ」「いいご縁にならなければ」と力むのではなく、「何かあったらいつでも相談してね」とそっと心に寄り添うことです。菩薩行は決して特別なことではありません。まずは目の前の人に喜んでもらうことから始めてみませんか。


先日、ある信者さんと話をしていた時に、「能登半島地震の被災されている皆さんの様子をニュースで見ていると、寒いだろう、お風呂にも入れずに辛いだろう、温かいものもなかなか食べることができずに苦しいだろう。何かできないのか」と涙を流されました。この姿が菩薩の要件の「同事」だと思います。

被災された方々のことを思い、いまできる念じることや布施することに取り組み、そして、いま出会う目の前の人に喜んでもらうことを丁寧に取り組んでいきたいと思います。

次回までよろしくお願いします。




写真は、西武の特設会場で開催されていた、「第78回春の院展 福井展」に展示されていた絵です。皆さん、見覚えありませんか。昨年の『佼成』12月号の表紙になった絵です。


能登真理亜さんの「Swim the night」です。


自由に写真を撮ってもいいというので、嬉しくて思わず撮ってしまいました。

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