3月5日は教団創立86周年を迎えます。そして大聖堂建立60周年という節目の年でもあります。今回は丁度30年前の会長先生のご法話、「『大聖堂建立・ご本尊像勧請三十周年』を迎えて」(『躍進』1994年3月)の中に、大聖堂が完成した60年前のご法話が紹介されておりました。その部分を紹介して、教団創立記念日を感謝で迎えたいと思います。
ご本尊像が勧請され、大聖堂が完成した昭和三十九年、開祖さまは機関誌『佼成』のご法話で次のように述べておられます。
「ここ数年来、会員の皆さま方のたゆまざるご精進によりまして、大衆教化も大いに進展し、あわせて教学の徹底も行なわれ、まことに心強い極みであります。
しかも、諸仏諸天善神のご守護をいただいて、大聖堂内に久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊のご尊像を奉祀する“入仏の儀(入仏式)”が去る三月四日予定どおり執り行なわれましたことは、この上もなく喜ばしい限りであります。
しかしながら、大聖堂が完成し、久遠本仏のご勧請をいただいて、ここに法華経の根本道場が確定したということは、私たちが最終的な目標に到達したということではなく、いよいよ真の大衆教化へのスタートを切ったことを意味するのであります。
過去の歴史は『一つの教団が大きな建物を建てると、その日を境として既成化していく』と語っております。
たしかに後世に残る大きな建造物を建てた教団のほとんどは、たいていそれを境に次第に活動が不活発になり、それまでの生命力に満ちた機能が老朽化しています。このジンクスを破らないかぎり、私たちの使命を遂行することはできません。
私は去る三月四日のご本仏入仏式のみぎり、全国二百万会員を代表して参集なさった方々に向って次のように申しあげました。
『歴史に残る大教団のほとんどは、古今、洋の東西を問わず、伽藍の建立を契機に既成化している。世界平和、人類救済の悲願を達成するため、私たちは教団既成化のジンクスを打ち破らねばならない』と。
この時私は、さしもの大聖堂も壊れるのではないかと思えるほどの大拍手を耳にし、感激の涙を頬にしながら『よし、やるぞ!!』と言わんばかりに紅潮した顔々々……を眼のあたりにして、“既にジンクス打破の突破口は開かれたり”の感を強く抱いたのであります」(『佼成』昭和39年4月号)
一読するだけで、そのときの開祖さまの願いと会員さん方の熱気がひしひしと伝わってまいります。
しかも開祖さまが、このことを本会にとってのスタートと位置づけておられることは、誠に重要であると思います。これは本会が宗教教団として、あくまでも人間の救い・世界平和を目標としているということであります。
言い換えれば、建物の大きさや教義の整備や確立に自己満足することではなく、一般庶民の生活の中に教えを生かすことが大事であること、いわば一人ひとりの人間の心田開発こそが本会を創立された開祖さまの願いであったのです。
開祖さま、会長先生のご法話を通して、私たちの心が既成化、形骸化していないかを振り返り、教団創立記念日を契機に心新たに生き生きとご法精進していきたいと思います。
次回までよろしくお願いします。
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