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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)220号~

毎月21日の教会ご命日では、法華三部経をもとに法華経の習学を行なっています。2月21日は妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十を学びました。

常不軽菩薩は、誰に向かっても丁寧に拝み『私は、あなたがたを敬います。なぜなら、あなたがたはみんな菩薩の道を行じて、必ず仏になる人たちだからです』と礼拝賛歎するのです。この菩薩は、経典を読誦することはせず、ただ礼拝するだけでした。その真意の分からない群衆は、すっかり腹を立てて、棒でたたいたり、石や瓦をぶつけたりするのですが、そうするとその菩薩は遠く走って逃げて、それでもなお大声で、『私には、どうしても、あなたがたを軽んじることができません。あなたがたは、必ず仏になる人たちだからです』と唱えるのでした。いつも変わらず『あなたがたを軽んじません』と、同じことを言うので、増上慢の僧たちは、その菩薩比丘に常不軽というあだ名をつけたのです。

常不軽菩薩が相手の仏性を拝むということに、コツコツと根気よく続ける姿はとても魅力的で、仏性礼拝は私たちにとって大切な修行です。これから何回かに分けて常不軽菩薩のことや仏性礼拝について学んでいきたいと思います。今回は、開祖随感から学んでみましょう。


○拝み続ける人  1992年(平成4年)  

信仰も慣れが出てくると、形だけ立派でも心が伴わなくなりがちです。

手を合わせて形は相手を拝んでいても、心の中で、「この人は、人の言うことにいちいち反発する困った人だ」などと思っていたのでは、相手は心を開いてくれません。

法華経には、常不軽菩薩の礼拝行が説かれています。常不軽菩薩は、どんな人であろうが「この人は仏性を具えていて、必ず仏になる人だ」と、もう、ぜったいに信じきって拝み続けるのです。

ですから、石を投げつけられても、杖で打ちかかられても、「あなたがどんなことをしようと、私は、あなたを信じて疑いません。あなたは仏になる人だからです」と拝み続ける。相手がどんなむちゃを言おうが、まったくおかまいなしです。文字どおり、拝み倒すのです。

そういう人に出会うと、人は降参するしかないのですね。心の奥の奥に眠っている、けがれのないきれいな心がほとばしってくるのです。


振り返ってみると、私が言いたいことを言ったり、もう青年部に出たくないと言ったりしてもあきらめずに私を信じて拝み、かかわってくれる方々がいたからこそ、今の自分があります。皆さんにもそのような方がいるのではないでしょうか。

かかわりの中で「この人は困った人だな」という思いが出たら、自分自身を振り返り、信じて拝まれてきたことを思い出し、常不軽菩薩のように相手を信じ相手の仏性を拝み続けることに再チャレンジしていきましょう。

次回までよろしくお願いします。




写真は福井駅構内です。さすが恐竜王国です。

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