2月15日はお釈迦さまがお亡くなりになった涅槃会を迎えます。開祖さまのご法話の中に、お釈迦さまが涅槃に入られるまでの様子を表現されているものがあります。「仏教信仰の原点 なぜ 何を いかに信仰するか」(『佼成』1974年2月)から学んでみましょう。
○入涅槃直前の釈尊に思う
二月十五日は涅槃会でございます。世界の歴史を通じて最も偉大なる人が、最も偉大なる死に赴かれた日でございます。わたしはこの日を迎えるごとに思うのですが、涅槃にお入りになる直前にお釈迦さまがなさったこと、おおせられたことは、そのままご一生の縮図であり、御心と御教えの全体がそこに凝集し、結晶しているのではないか‥‥と、つくづく感ずるのでございます。
ヴェーシャリの町で重い病にかかられ、ほとんど絶望かと思われたお釈迦さまが、幸い小康を得られた時、常随の弟子阿難が、「世尊がお亡くなりになるかと思いますと、四方が暗くなるような思いでございました。これから先、比丘僧伽はだれを頼りにしていけばいいのかと‥‥」という意味のことを申し上げますと、お釈迦さまは「わたしはすでに、内外の区別なく、ことごとくわたしの悟った法を説いたではありませんか。阿難よ、そなたたちは、今でも、わたしが死んだ後でも、自らを燈明とし、自らを依りどころとし、法を燈明とし、法を依りどころとしていけばいいのです。そのような人こそ最高の比丘と言うべきです」とお諭しになりました。いわゆる自燈明・法燈明と呼ばれる、万世不滅の理性の教えであります。
それからふたたび北へ向けて布教の旅に出発されましたが、途中バーヴァーという町で、熱心な信者であるチュンダがご供養申し上げた食事の茸に中毒され、ご容体が俄に悪化されました。胸をかきむしって後悔するチュンダの様子を聞かれたお釈迦さまは、お傍で看病している阿難に、「チュンダの供養した食事が、わたしの最期を早めたからといって何も悔むことはない。わたしが成道する前にスジャータという娘が食事を供養してくれたが、今、入滅しようという際に供養してくれたあの食事も、それと同じように大きな功徳があるのだ」とおおせられました。何たる寛容、何たる慈悲−−お言葉を伝える阿難も、承るチュンダも、共々にむせび泣いたということです。
いよいよご寿命も終わりに近づいたことをお覚りになったお釈迦さまは、最期の地をクシナガラとお決めになり、そこまで数キロの道を二十五回もお休みになりながらたどりつかれました。そして、町はずれの二本の沙羅の樹の間に床を用意させられ、北を枕にして静かに横になられました。
その夜半、スバッダという年取った異教の行者が教えを請いに来ました。阿難は、ご臨終に近い世尊をわずらわしてはならぬと思い、固く断りました。その押し問答を聞かれた世尊は、「阿難よ、道を聞きに来た人を拒んではならぬ。通しなさい」と命じられました。スバッダが、ご挨拶もそこそこに「世の宗教家はみんな自分で悟りを開いたと言っていますが、ほんとうにそうでしょうか」と、お聞きしますと、お釈迦さまは「そういう問題に思いわずらう必要はありません。真の悟りに至る道は、正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定の八つの聖なる道しかないのです」と、正しい実行の教えをお説きになりました。そのお言葉によって、スバッダは目が覚めたようになり、その場で三宝に帰依しました。これが、ご在世の釈尊最後の弟子となったわけです。
この三つのエピソードをよくよく味わってみますと、理性(智慧)・慈悲・実行という仏教の三つの柱がここに凝集・結晶していることに、強い感銘をおぼえない人はないと思います。
お釈迦さまが涅槃に入られるまでのエピソードを学ばせていただき、最後まで目の前の人が真理に目覚めるように大切に、そして丁寧に関わりをもたれる様子に胸が熱くなります。
お釈迦さまへの感謝を深めさせていただきましょう。
次回までよろしくお願いします。
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