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後藤教会長

~教会長のいい福通心⁽つうしん)222号~

常不軽菩薩が相手の仏性を拝むということに、コツコツと根気よく続ける姿はとても魅力的で、仏性礼拝は私たちにとって大切な修行です。これから何回かに分けて常不軽菩薩のことや仏性礼拝について学んでいきたいと思います。今回は、『やくしん』(2018.12月号)の特集「常不軽菩薩に学ぶ―仏性礼拝行」から学んでみましょう。

「仏性礼拝行は立正佼成会の行法の核心」

〇いのちの根本を観る

庭野日敬開祖は「現実に人を救い、世を立て直す」ためには、法華経に込められている真の仏教精神を弘めるほかはないと確信し、本会を創立されました。真の仏教精神とは、私たち一人ひとりが本来もっている仏性の自覚に立ち、仏性を開顕していくことです。自他共に仏性を自覚し、互いに磨き出していくことが仏になる道であり、すべての人が互いのいのちを拝み合う世界平和の道につながります。

では、どのようにすれば仏性を開顕していけるのでしょうか。『法華三部経』の妙法蓮華経方便品第二に、「仏種(ぶっしゅ)は縁に従(よ)って起(おこ)ると知(しろ)しめす」とあるように、仏性は一人では開顕できません。相手(縁)との出会いによってのみ仏性に気づくことができ、仏性が起こさしめられるのです。

出会う相手はどんな人でも、私を仏の世界へ導いてくださる尊い存在です。そして、自分自身も縁となって、相手の仏性を開かしめ、仏の世界へ導くことができる尊い存在です。尊い存在である自分が尊い存在である相手を礼拝することが仏性礼拝行です。

仏性を礼拝するというと、「あの人には、あのような短所もあるけれど、このような長所もある。だから長所を褒(ほ)めていこう」と相手の長所や美点を見つけて、認めることと思いがちです。しかし、これはあくまでも礼行の出発点です。長所・短所、美点・欠点といったものは、自分の価値観による相対的、表面的なものでしかありません。礼拝行とは、絶対の価値を観ようとすること、 つまり、すべての人に宿されている「いのちの根本のはたらき」を観て、「この人は私と同じように、泣き、笑い、怒りながら成長•向上を続け、仏になろうとしている存在なのだ」と感得し、「この出会いをとおして私も輝きこの人にも輝いていただこう」と寄り添っていくことです。そのように生きとし生けるものの仏性を礼拝し、開顕していくのが仏性礼拝行です。そして、仏性礼拝行こそが、一乗の教えを基本とする本会の行法の核心であり、菩薩行の大眼目なのです。

光祥さまが、「私たちは、善い人間でも悪い人間でもありません。優しくて冷たい、思いやりと暴力が同居する、縁によって変化する『たくさんの私』です」と教えてくださいます。自他共に、さまざま可能性を秘めた人間であるのだから、「この出会いをとおして私も輝きこの人にも輝いていただこう」と寄り添っていくことが大事なのだと思います。

少しでも目の前の方の仏性を礼拝し、開顕できる触れ合いをしていきましょう。

次回までよろしくお願いします。




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