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後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)230号~

何回かに分けて常不軽菩薩のことや仏性礼拝について学んでいます。今回も、『やくしん』(2018.12月号)の特集「常不軽菩薩に学ぶ―仏性礼拝行」の中から学んでいます。今回は【まとめと実践】「素直な心でありのままに見る仏性礼拝行」のところを学んでみましょう。

○心の動きと仏性礼拝行

私たちは日々、家族、職場の同僚、クラスメー卜など、さまざまな人と出会います。出会った瞬間、私たちの心はどのように動くのでしょうか。

好意的に接してくれる人であれば「優しい人、温かみのある人」といった印象をもち、自分にとって不都合と思える人であれば「嫌味な人、怖い人」といった印象をもつかもしれません。

どのような人にも「仏性を具(そな)えた尊い存在」と礼拝することは簡単ではありません。仏性礼拝を難しくしている原因は、自分の“我(が)(自分中心の考え、見方)”で相手を見てしまうことにあります。“我”で見ると、相手の表面的な姿にとらわれて、他と比較し、相対的に見てしまい、そのままの相手を受け入れることができにくくなります。

一方で、私たちは無意識に周囲の人たちに“気を使っている”ことがあります。例えば、家族に笑顔で「おはよう」とあいさつをする、元気のない顔をしている同僚がいたら優しい言葉をかける、電車の中でお年寄りに席を譲るなど、相手が心地よくなるような言葉かけや思いやりのあるふれあいは、相手を尊重している心の表われです。それが仏性礼拝行であり、そのとき自分の仏性は開顕(かいけん)されているのです。相手への思いやりを意識しながら、相手を尊重した行ないを積み重ねていきましょう。それが基本構想に示されている、「人間本来のこころ(明るく優しく温かく)を持って、菩薩道(人道)を歩む」世界なのです。

【わたしの所感】

相手の仏性、相手を尊く敬する気持ちで見られない時は、自分中心(自分の立場)の見方で相手を見ているということです。しかし、それぞれ自分を振り返ってみると、そのような見方ばかりではなく、相手を思いやる、いたわる言葉や態度をしていることも多いと思います。

私自身を振り返ってみたときに、目の前の人に喜んでもらいたいと意識しているときは、相手の仏性、相手を敬する気持ちで触れられていることができているようです。しかし、意識をしていないと、すぐ自分中心(自分の立場)で相手を見て、責めたり指摘したりすることが多いのだと感じます。相手に対して思いやりの心で、少しでも相手に喜びや安らぎを感じてもらえるように触れ合っていきたいですね。次回までよろしくお願いします。




写真は広島平和学習会で見学した『原爆ドーム』です。

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