何回かに分けて常不軽菩薩のことや仏性礼拝について学んでいます。今回も、『やくしん』(2018.12月号)の特集「常不軽菩薩に学ぶ―仏性礼拝行」の中から、常不軽菩薩の物語を学んでみましょう。
○真っ直ぐに仏になる道
常不軽菩薩の物語は遠い昔の話ではありません。現代の私たちにも通じる、生き方の手本なのです。庭野日鑛会長は「常不軽菩薩という方は、だれを見ても合掌礼拝をなさいました。信仰をしている人でも、していない人でも、どんな人であろうと、皆、仏の子として合掌されたのです。このように、生命を尊重し、互いに仏性を礼拝し、賛美(さんび)、賛嘆(さんたん)するということが、私は、法華経の一番大きな、また中心的な教えであろうと受け取るのです。この生命尊重の教えを、一人でも多くの方々に、知ってほしい、分かってほしいということで、今日、私たちは布教を展開させて頂いているわけであります」(『佼成新聞』2000年5月12日号)と述べられています。
私たちは皆、宇宙の大生命である久遠の本仏(ほんぶつ)に生かされています。私たちの本質は久遠の本仏と一体の仏性そのものです。ですから、本来、人間の魂は清浄であり、より良く生きたいと願っているのです。ただ、日々の生活で煩悩によって仏性が覆い隠されてしまっているだけです。その曇りを取り去り、仏性を磨き、輝かせるもの。それが仏性礼拝行にほかなりません。仏性礼拝行こそ仏道修行の根本であり、生きた仏教でもあるのです。自分の尊い価値に気づき、仏性を磨き出すところに真の救いがあります。そのお手伝いをさせていただくことほど、人間として尊い行ないはありません。そのことを常不軽菩薩の物語は示しています。
また、人の仏性を礼拝することで自分の仏性も磨かれ、 仏の境地に近づいていきます。釈尊もさまざまな修行を積んで仏となりましたが、その出発点は常不軽菩薩として努め励んだ仏性礼拝行でした。仏性礼拝を真心から行じ続ければ、必ずいつかは仏になれるのです。それは私たちにとって大きな励みです。私たちは常不軽菩薩の真似から始めればいいのです。常不軽菩薩の仏性礼拝行は、回り道をせず、真っ直ぐに仏になる道なのです。
迫害を加えられたら、さらりと身をかわす柔軟さ。しかし、「法は決して曲げない」という強い信念、あくまでも初一念(しょいちねん)を貫き通す不退転の勇猛心。あせらず、一歩一歩目的へと近づいていく粘り強さ——そうした常不軽菩薩の精神に学び、どんな時でもすべての「いのち」に合掌していきたいものです。
【わたしの所感】
仏性礼拝を真心から行じ続けることは、まっすぐ仏になる道であると教えていただきます。簡単なようで難しいことであり、難しいようであるが仏性礼拝にまず取り組んでいけばいいと思うと、「やってみよう!」と勇気が湧いてきます。すべての「いのち」に合掌していけるように、まずは両親、そして先祖からいただいた「いのち」に感謝していきましょう。そして、出会う目の前の人も、自分と同じようにたくさんの方からつながれた「いのち」を生きていることに敬意をもって触れていきたいと思います。
次回までよろしくお願いします。
写真は福井佼成幼稚園の隣に完成した、障碍児通所支援事業所『佼成ふたば』です。
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