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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)242号~

佼成新聞に連載されていた開祖さまの、『心が変われば世界が変わる-一念三千の現代的展開-』を紹介しています。今回も、皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。


(4)心の平和を保つには

○病気を忘れることが一番の薬

心のもち方が身体の健康にどれぐらい大きく影響するか、これについては、私が信仰活動を始めてからきょうまでの約五十年間に、数え切れないほどの体験例をもっているのですが、そのホンの一部を紹介してみましょう。

ストレプトマイシンとか、パスとかいったような特効薬のなかった戦前では、肺結核が若者の命を奪うもっとも恐ろしい病気でした。療法としては「栄養のあるものを食べて安静にしていること」、これよりほかにはなかったのです。それで、お金のある人は暖かい海岸地方に転地したり、サナトリウム(療養所)に入ったりして、寝たっきりの、もしくはブラブラした生活を二年も三年も続けたものです。

しかし、いくら身体は安静にしていても、精神はなかなか安まりません。いつも体温計をまくら元に置き、一日に何回も熱を計っては、「一度下がった」「二度上がった」と、一喜一憂したものでした。体重もまた病勢を計るバロメーターとされ、しょっちゅう体重計に乗っては、これまた一喜一憂していました。そうした精神の不安定の底には「結核は不治の病」という通念がわだかまっていて、これが患者の心をいつも暗くし絶望的にしていました。たいていの結核患者は、その“心”に負けて死んでいったのです。

その反証が私の手元にはたくさんあります。戦争中や終戦直後のころは、肺結核の人がずいぶん佼成会に入会してきました。その人たちに、仏の教えを話してあげたり、礼拝・供養といった宗教的な行をキチンとさせたりすると同時に、畑仕事やら本部の廊下ふきなどの軽労働をしてもらいました。大変な食糧難で、栄養物などほとんど手に入らない時代でしたが、青い顔をして入会してきた人たちが、芋を食べ食べ、畑の草取りをしいしい、ほとんど治ってしまったのです。一番の薬は、そうした毎日の中で、これまで自分の病気は不治だと悲観していた人たちが、いつしかその病気を忘れてしまったことだったのです。今でも元気に働いている生き証人がたくさんいます。


【わたしの所感】

戦中、戦後の混乱した時代、なかなか医者にもかかることができない、あるいは医者にかかっても治らない方々が、「病気を治してくれるところがある」といって立正佼成会に救いを求めて入会されたと教えていただきます。

自分の病気にとらわれていた方々が、礼拝・供養という宗教的な行と菩薩行という人さまのために身を使う行を通して、病気が治った方がたくさんいました。今でも、それは続いています。しかし、なぜ良くなっていくのか?それは、「一番の薬は、そうした毎日の中で、これまで自分の病気は不治だと悲観していた人たちが、いつしかその病気を忘れてしまったことだったのです」と、最後のところにありました。自分の不安な気持ち・悲観する心が病気を広げてしまいます。「病気を忘れることが一番の薬」。このことを大事にしていきたいと思います。

次回までよろしくお願いします。




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