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~教会長のいい福通心(つうしん)250号~

後藤教会長

佼成新聞に連載されていた開祖さまの、『心が変われば世界が変わる-一念三千の現代的展開-』を紹介しています。今回も、皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。


7下がるのはなぜ善なのか

○譲る心で家庭や社会も平和

「ときには譲ること」

世の中には「絶対に譲れない」というものごとは案外少ないものです。自分一人の立場から見れば金輪際(こんりんざい)譲れないと思っても、ちょっと心に余裕をもたせて、大勢の人間の立場に立って考え直して見ると、「少しわがままかな」という反省が生じてくることがよくあります。また、その時その場では絶対に譲れないと思っても、一日なり二日なりたってみると、「そう強情を張るほどのことでもないじゃないか」と、考えがやわらぐこともよくあるものです。

利害のからまる諸問題でも、「大所高所から見れば、一歩も引けない」というケースはあまりないものです。「負けるが勝ち」で、一歩引いた方がかえって結果がいい場合もよくあります。商人はそれをよく承知していますから、取引の条件を決める場合など、「仕方がない。今度は私が泣きましょう」と、ある所で妥協します。そして、“泣く”ことによって、いつまでも“笑って”つきあえるのです。長く取引を続けることができるわけです。

ましてや、親子、夫婦、親族、友人といった、利害関係よりも信頼関係の方が強い間柄においては、お互いに譲り合うことが絶対に必要です。佼成会では、これを<下がる心>と表現して、教えの大切な根幹としています。なぜ大切かといいますと、それには個人的と社会的と双方の利益(りやく)があるからです。個人的な利益とは、「我を張って心にストレスを起こすよりも、ちょっと譲れば気が楽になり、体のためにもよい。またそうすることによって人格が高まる」ということです。社会的な利益とは、「譲ることによって家庭(これも小社会)の波風も収まり、そういう気風がだんだん世の中に広がっていけば、社会全体が次第に平和になっていく」ということです。


【わたしの所感】

「譲り合う」ことは大事であると思っても、自分の立場を主張し自分を先にするとなかなか相手に譲れないこともあります。しかし、落ち着くと譲れなかったことに、「大人げない自分だな」と反省することがあります。

佼成会では<下がる心>と教えていただきます。<下がる心>は<敬する心>にも通じるものだと思います。それが平和を作っていく基になります。

年末が近づいてきて忙しくなる時だからこそ、<譲る心>、<下がる心>を大事にしていきましょう。次回までよろしくお願いいたします。





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