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後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん)248号~

佼成新聞に連載されていた開祖さまの、『心が変われば世界が変わる-一念三千の現代的展開-』を紹介しています。今回も、皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。

○熱中することが人生に大切

さて、<怒りは仕事で消せ>というのも、「怒っている対象から、ぜんぜん違った対象へと心を移し変えなさい」というわけで、まことに理にかなったやり方です。

仕事といっても、職業上の仕事でもいい、あるいは趣味上の仕事でもいい、とにかく自分が熱中できるものにシャニムニ取り組んでいくのです。そうすれば、初めはブスブスくすぶる程度の怒りが残っていても、いつしかそれも消え去ってしまうこと必至です。

熱中すれば、没我の状態になります。妄想・雑念が消え、その一事だけに専念して、われを忘れてしまうわけです。その状態が、つまり三昧であって、人生にとって<正しい三昧に入る>ことほど大事なことはありません。正しい三昧といっても、なにもむずかしく考える必要はなく、普通の生活者としては、仕事をするときは仕事三昧、勉強するときは勉強三昧、スポーツをするときはスポーツ三昧、とにかくその一事に熱中し、没頭することです。

そうすれば、それぞれの分野で、高い境地に達することができるばかりでなく、そうした心の集中力、つまり三昧力は、いろいろな場合に思いがけない大きな働きをするものであります。ここにあるような<怒りを仕事で消す>場合もそうです。

もし仕事に集中する三昧力が不十分で、仕事をしながらも腹の立つそのものごとが忘れられないようでは、十分な効果をあげられないでしょう。ですから、なにごとをなすにも、それに<三昧する>クセをつけておくことが、よき人生を送る大きな要因となるわけです。

さて、<怒りを仕事で消す>よりは、自分の理性のはたらきで、それを消したいと望む理想派の人もおられるでしょう。そんな人のためには、聖徳太子の十七条憲法の第十を紹介しておくことにしましょう。すなわち・・・・・・

「十に曰く、心の怒りを絶ち、おもての怒りを棄て、人のたがうを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執ることあり。かれ是(よみ)すれば、すなわちわれ非なリ。われ是すれば、すなわちかれ非なり。われかならずしも聖に非ず。かれかならずしも愚にあらず。共にこれただひとのみ。是非の理(ことわり)、いずれか定むべき。相ともに賢愚なり。鐸(みみがね)の端(はし)なきが如し。これをもって、かの人はおもて怒るといえども、かえってわがあやまちを恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に従って同じくおこなえ」

【わたしの所感】

私自身、あまり集中力が続かないことも多いのですが、唯一、植物の世話をすること(プランター栽培やミニ盆栽づくり等)に取り組んでいる時は集中しているように思います。私にとったら植物育成三昧かもしれません。それをしている時は、怒りも忘れ心が穏やかになっている時です。皆さんはどんな<三昧する>クセをもっているでしょうか。少し振り返っていただければと思います。次回までよろしくお願いします。



写真は金沢のひがし茶屋街のお茶屋の庭です。

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