佼成新聞に連載されていた開祖さまの、『心が変われば世界が変わる-一念三千の現代的展開-』を紹介しています。今年も、皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。
○下がれば心が和やかになる
釈尊は、この<下がる心>の利益をもっと深く掘り下げてくださっています。すなわち、『大宝積(だいほうしゃく)経巻五九』に次のようにあります。
「謙下(けんげ=下がる心)に四種の利益あり。何等を四と為す。一には悪趣畜生等の身を遠離(おんり)するなり。二には、妙なる快楽(けらく)を受くるなり。三には潜謀(せんむ)も暴賊も俱に害する能わざるなり。四には、人天の恭敬礼拝を受くるに堪うるなり」
「悪趣畜生等の身を遠離する」というのは、下がる心を持っておれば、貪欲(餓鬼)、闘争(修羅)、憤怒(地獄)、愚痴(畜生)、といった悪道から自然と遠ざかり、人間らしい人間になれる……ということです。
「妙なる快楽を受くるなり」というのは、下がれば必ず心が和やかになり、人を柔らかく抱き取るような気持になり、したがって周囲の人々とも和楽できますから、何ともいえない幸せな気持になれる……ということです。
「潜謀(せんむ)も暴賊も俱に害する能わざるなり」というのは、我を張って一歩も譲らないような人に対しては、ひそかに策謀をめぐらしておとしいれたり、暴力で立ち向かったりする相手が現れるものですが、下がる心を持った謙虚の人に対しては、そんな対抗意識を起こし難いものだ……ということです。よしんば起こしても、いわゆる「柳に雪折れなし」で、そんな人にはなかなか通じないものです。
「人天の恭敬礼拝を受くるに堪うるなり」というのは、そのような謙下(けんげ)の人は、つねに「自分はまだ至らぬ人間だ」というつつましい自覚をもち、したがって、つねに上へ上へと向かう求道の志を胸奥にもっている人であるから、人間はもとより、神々からまで敬われる資格があるのだ……ということです。
【わたしの所感】
2025年がスタートしました。年末は、家に戻って気が緩んだのか、体調を崩し寝込んでしまいました。予定していたこともすべてキャンセルになり、家族にも迷惑をかけました。しかし、そのことがあったお陰で、すこしは謙虚な心で心和やかに新年を迎えられたように思います。下がる心、譲る心、謙虚な心を大切にしていきたいと、強く思うお正月でありました。
皆さんは、いかがお過ごしでしたか。今年もよろしくお願いします。

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