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~教会長のいい福通心(つうしん)252号~

後藤教会長

久しぶりの配信になりましたが、佼成新聞に連載されていた開祖さまの、『心が変われば世界が変わる-一念三千の現代的展開-』を紹介しています。今回も、皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。


○必ず真理によって報われるここで思い出すのは、新約聖書の中にある「さいわいなるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり」という言葉です。「心の貧しき者」というのは、自分の心に欠乏を覚え、それが満たされんことを祈る人のことです。自分はまだ至らぬ人間だという自覚をもつ人。つまり下がる心の持ち主です。「天国はそのような人のものだ」とキリストはおっしゃっているのです。釈尊のおっしゃった「人天の恭敬礼拝を受くるに堪えうるなり」と、何という尊い一致でありましょう。なぜ下がる心の持ち主がそんなに尊く、下がることがそんなに立派な行為なのか。これは「この世は持ちつ持たれつの大調和によって成立している」という諸法無我の真理によって証明できます。現実の世の中を眺めてみますと、たいていの人がオレがオレがと我を張っています。自分の権利ばかりを主張しています。その状態を放っておきますと、我と我、権利主張と権利主張は必ず衝突し、争いが起こります。摩擦を生じます。そして、ギスギスした住みにくい世の中になっています。ですから、そこにいくらかの下がる心の持ち主、すなわち、外部から突っかかってくる力を柔らかに受け止める、クッションのような、空気バネのような人間が絶対に必要なのです。そんな人がいてこそ、世の中のバランスが取れ、調和が生まれるのです。ところが、我を張り、権利を主張することに比べて、下がるとか譲るとかいうのは、割に合わぬことのように思われます。“表面上”はたしかに割に合いません。しかし、その割に合わぬ役目をあえて自分が引き受けるという尊い犠牲的精神がどこかで報われぬということはけっしてないのです。善因善果の理で必ず報われます。自分が犠牲になって大なり小なりの調和をつくり上げる。それは「宇宙は持ちつ持たれつの大調和の世界」という真理に合致した道でありますから、表面上は犠牲になっているようでも、実際は必ず真理によって報われるのです。心身共にいい報いを受けるのです。釈尊のお説きになった四つの利益がそれにほかなりません。


【わたしの所感】以前、会長先生が、「私たちは未完成なのです。未完成の者同士が集まり、完成を目指そうとする未完成交響曲です」と教えてくださったことがあります。しかし、私は時々そのことを忘れて、自分が完成しているかのように、相手の欠点を批判してしまことがあります。そうすると、ギスギスした嫌な気持ちが残ります。その後、内省すると、「自分は間違っていない。正しい」と思っている自分に気づかされます。未完成な自分を自覚すると、相手が失敗や過ちをしても、私もその立場だったらそうせざるを得ないことがあったかもしれないと、許したり受け入れたりすることができます。「敬う心と恥じる心」をしっかりと実践していきたいと思います。次回までよろしくお願いいたします。



写真は「雪のご生家」です。

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