佼成新聞に連載されていた開祖さまの、『心が変われば世界が変わる-一念三千の現代的展開-』を紹介しています。<9>の内容は見当たらなかったので<10>の内容を紹介します。今回も皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。
<10>批判も競争もほどほどに
○人の“アラ”を気にしない
「他人への批判はのんびりやること」
前項でも述べましたように、あらゆる点で完全な人というものは、現実の世界ではまずありません。それなのに、われわれ凡夫は、自分の不完全なことはタナに上げて、自分と関係の深い夫・妻・姑・嫁・上司・同僚などに対しては、ともすれば完全を望みがちなのです。そうしますとほとんどの場合、期待は裏切られます。相手の欠点がイヤに目について、腹が立ったり、失望したり、心に波風が立ち騒ぎます。すると、どうなるでしょうか。
お釈迦さまが「火に熱せられて沸騰している水は物の姿を如実に移すことはできない。風に波立っている水も物の本当の姿を映すことはできない。人間の心もその通りである」とお説きになりましたように、腹を立てたり、失望したりして、波風の立っている心で見ると、相手の本当の姿が見えなくなり、美点・長所までが目につかなくなるのです。そして、人間関係は悪化の一途をたどるのです。
ですから、身辺の人間関係を和やかにし、心の平和を保つためには、人のアラを気にしないことです。お汁粉にも、甘酒にも、少しばかり塩を入れた方が味がよくなるように、人間も少しばかり欠点があったほうが味わいがあるものです。一点も非の打ちどころのない美人はかえって冷たい感じがして近寄り難いのに対して、少し目尻が下がっていたり、ちょっぴり団子鼻だったりすると、いかにも魅力があり、親しみがもてるのです。人間性もそれと同様で、少々あわて者だったり、間の抜けたところがあったり、どうでもいいことに熱狂したり、とにかく少しばかりの短所があったほうがかわいげがあり、ユーモラスでもあり、人間らしいものです。
人のアラが目についても、このような見方で、微笑みをもって包容すれば、こちらも気が楽になります。反対に、人のアラをいちいち取り上げて気にしたり、批判したりすれば、自分自身の心も緊迫し、波立ち、イライラし、一つとしていいことはありません。「他人の批判はのんびりやる」というのは、ここのところを言ったものと思います。
【わたしの所感】
今回も大変学びになりました。私も関係が近ければ近いほど完璧を求めるところが強く、勝手に心が波立ってしまい、相手の美点・長所をなかなか見られないことが多かったと反省しました。
人のアラ、欠点に目を向けるのではなく、自分自身も不完全、未熟であると自覚し、相手を包容していくことが大事ですね。
次回までよろしくお願いいたします。

写真は教会から見た夕陽です。久しぶりに晴れた時に撮りました。
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