~教会長のいい福通心(つうしん)263号~
- 後藤教会長
- 8月18日
- 読了時間: 3分
佼成新聞に連載されていた開祖さまの、『心が変われば世界が変わる-一念三千の現代的展開-』を紹介しています。今回も皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。
○奇跡のようでも奇跡でないこれらの原因のうち、前の三つには神秘的な要素がたぶんにあります。これについては、あとでゆっくりと考究することにしましょう。あとの三つの原因はだれしもすぐ納得のいくものですが、それにしても、信仰者の場合は、それが突然に出現することが多いために、<奇跡>と受け取られる場合がよくあります。例えばこういう実例があります。前の世田谷教会長の豊田恵三郎さんが、直接、私に話されたことですが、一昨年(昭和52年)のお会式で私が説法させて頂いた時のことです。豊田さんは、何かお悟りを頂戴してずっと足を痛めて、歩くのも苦しかったのだそうです。ところが、私の説法を聞いていた一人のお年寄りが、大聖堂のホールのいちばん前の床にタオルか何か一枚敷いて座り、懸命に合掌しておられる姿を見て、豊田さんは「ああ、ありがたい。これが佼成会の信者さんなんだ」と考えられたのだそうです。すると、その途端に足が治ってしまい、連れてきた子供さんを何気なく抱きあげたら、少しも痛くないのに気が付いた、というのです。そして、楽々と歩いて帰られたのです。この実例など、奇跡と言えるかもしれませんが、私はやはり<心が変わればからだも変わる>の理(ことわり)に基づくものだと信じます。豊田さんは「何かお悟りを頂戴して……」と語っておられましたが、それはつまり、何か心の中に引っ掛かりというか、しこりというか、執着というか、そうした異常があり、それが足の痛みを起こしていたものと推定されます。
心の異常は筋肉や神経にも微妙な影響を及ぼすもので、前に紹介した池見博士の著『心療内科』にもそうした症例がたくさん語られています。例えば、斜頸(しゃけい)と言って首が一方に曲がっている異常がありますが、先天的なものは別として、博士が精神療法で治されたものは、恋愛の破綻、職場での対人関係のもつれ、強制された転任、同僚が先に昇進したことへの不満などによって誘発された肩、頸(くび)の凝りに端を発し、それが続くうちに頸が動かしにくくなってしまったもの……と記されています。また、中学時代は首席だった女の子が町で一番の進学校である高校に入り、急に負担が重くなって、心身を緩める暇がなくなったら、中学時代からあったジンマシンと膝の関節の痛みが連日起こり、とうとう休学してしまったという症例もあります。ジンマシンは暗示療法で治ったのですが、それだけでは本当の解決にはならないので、両親とも相談の上、進学コースでない楽なコースに変えさせたら、膝関節の痛みも起こらず、再び元気に通学するようになった……とのことです。
【わたしの所感】私も信者さんの姿を通して、奇跡と思うようなことをたくさん見させていただきました。病院で診察していただき治療してもなかなか良くならなかった方が、「心が変わればからだも変わる」のように快復していく様子も見させていただきました。やはり、「心身一如」なのだと実感しました。病院に行かずに信仰で治す、というのは極端ですが、病気になるというのは心身のバランスが崩れている時でもあります。「話すは放す、離す」ですので、話すことによって自分の心の中にあるしこりを放し、話すことで自分のしこりを離して客観的に見ることが大事であると思います。次回までよろしくお願いいたします。

写真は東尋坊から見る「雄島(おしま)」です。
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