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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん) 29号~

更新日:2021年12月9日

昨日、2021年6月4日は伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)(767-822)が亡くなられて1200年の大遠忌でした。写真は伝教大師の銅像です。

開祖さまのご法話の中には、伝教大師について述べられているものがたくさんあります。

今日は、開祖さまのご著書「我汝を軽しめず」の「一隅を照らす人になる」(P252)から学ばせて頂き、伝教大師に思いを馳せたいと思います。

比叡山(ひえいざん)に一乗止観院(いちじょうしかんいん:のちの延暦寺)を開いた伝教大師最澄は、嵯峨(さが)天皇に上奏した『山家学生式(さんげがくしょうしき)』によって天台宗の修行規程を明らかにしていますが、その冒頭にあるのが有名な次の一句です。


「径寸(けいすん)十枚、是(こ)れ国宝に非(あら)ず。一隅(いちぐう)を照らす。此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なり」


「直径が一寸の宝玉が十(とお)あっても、それは国の宝とはいえない。道心(どうしん)をもって世間の一隅を照らす人こそが国の宝である」というのです。

伝教大師は、日本という国を正しく導く人間を、大乗仏教の精神によって育てたいと志していました。「道心」というのは、この場合、仏道をおさめようとする心にほかなりません。

仕事でもそうでしょう。同じ職場にあっても、いつも脚光を浴びる人もいれば、縁の下の力持ちの役にまわる人もいます。自分がめぐり合っている仕事に誠心誠意をもって打ちこみ、その役目を果たしていく。それが「一隅を照らす」ことにほかなりません。

そのような人の体からは見えざる「後光」がさしていて、その後光がまわりの人びとの心を照らすのです。そして、あたたかい光の感化を受けた人がほのぼのとした心になって、自分もまた一隅を照らす人になっていく。そうして一隅を照らす人が次々と増えていけば、日本の社会はすみずみまで明るくなります。だからこそ、伝教大師は「一隅を照らす人こそ国の宝である」と述べられたのです。

今日は、自分のいる場を照らしていくように、目の前の人に笑顔と喜びを与え、一つ一つに真心込めて取り組んでいきましょう。




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