前回、伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう/767-822)の1200年の大遠忌ということで、開祖さまのご著書「我汝を軽しめず」の「一隅を照らす人になる」(P252)から学ばせて頂きました。その中から、今回は「一隅を照らすのはどんな人か」を紹介したいと思います。
「一隅を照らす」というのは具体的にどんなことでしょうか。
第一は、あなたがいる場所において、あなたでなければならないといった意味での存在感をもつことです。仕事でも何でもいい、まわりの人が「あの人がいれば」といった信頼感を抱くような存在となることです。そうすれば、まわりの人は自然に、あなたの仕事ぶりや生き方を見習うようになるでしょう。これが、暮らしのうえの「一隅の照らし方」です。
第二は、職業や地位に関係なく、何か一つ内面的な芯(しん)をもつことです。「真心」とか「信念」といったものを内側にしっかりともっていることです。「信仰心」をもつことがいちばんいいのは、いうまでもありません。
そうすると、接する人びとは必ずその「真心」や「信念」、あるいはひたむきな「信仰心」に打たれて、知らずしらずのうちにそれに染まっていくでしょう。つまり、あなたの「仏性」の光によって照らしたことになります。その光に照らされた人は、また他の人を照らすことになりますから、「衆生清ければ国土清し」という言葉どおり、いつかは世の中全体が清らかになっていくことでしょう。一隅を照らす光が、世の中全体を照らすようになっていくのです。
第三は、これがいちばん大事なことですが、善意をもって人のために尽くすことです。どんな小さなことでもいいのです。時には、厳しい言葉を吐いてもいいでしょう。人を包みこむあたたかい心で、「縁」あるすべての人に接して、困っている人があれば親切の手をさしのべていきたいものです。
(中略)
そのようにして「一隅を照らす人」が増え、その善意の灯(ともしび)が世に満ち満ちるようになれば、そのときこそ、この世は寂光土(じゃっこうど)となることでしょう。荒野に行き暮れた旅人が、はるか彼方(かなた)に家々の灯を見つけたように、人生の荒野に冷たい夜を迎える人にとって、人の善意、人の親切は心をあたためる火であり、希望を与える灯なのです。
今日は、自分のいる場を照らす(一隅を照らす)人として、目の前の人に笑顔と喜びを与え、一つ一つに真心込めて取り組んでいきましょう🤗
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