前回は、「苦」を解決する「四諦(したい)の法門」の「苦諦(くたい)」について学びました。前回と重複するところがありますが、「苦諦」をしっかりと理解することは大切ですので、開祖さまご著書「新釈法華三部経」9巻P234から学ばせていただきます。
お釈迦さまが<四諦>の法門で教えられているとおり、<人生は苦である>と悟ることです。たいていの人は、楽がふつうの状態であって、苦が異常な状態であるとおもっています。ですから、苦からのがれたい、苦を追放したいと、あくせくするのです。あくせくするために、いつも苦という観念が心にくっついて離れません。したがってつねに苦を感ずるのです。
そこで、こころのもちかたをガラリと変えて、「この世界は苦である。苦が常態(じょうたい:ふつうの状態)なのである」と悟ればよいのです。そう悟れば、肚(はら)がすわってきます。「苦が常態であれば、逃げだそうとしても逃げきれるものではない。それならば、苦と対決するよりしかたがないではないか」と、居直ることができます。こうして肚をすえ、苦と正面から向き合うことができます。それだけで、たいていの苦はむこうからスーッとしぼんでしまうものです。
早い話が、にがい薬をのむとき、にがさをいやがる子どもは、泣いたり、逃げたり、必死になって拒否しようとします。まだのまないのに、にがさという苦はまだやってきていないのに、すでに苦しんでいるのです。それに反して、「薬はにがいものだ。にがいのが常態だ」と悟っているおとなは、覚悟をしてグッとのみこみます。それで、一瞬にして事は終わるのです。舌に感ずるにがさは、子どもとおとなとちがいはないのですが、それを苦と感ずる感じかたにたいへんなちがいがあるために、一方は泣きわめき、一方は冷静に事に処することができるわけです。
ですから、苦を克服する第一の道は、<苦が常態であると悟ること>であるということができるわけです。
今日は、苦が自分にあれば、<苦が常態である>とまずは受け入れてみましょう。🤗
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