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  • 後藤教会長

~教会長のいい福通心(つうしん) 37号~

更新日:2021年12月9日

今日は盂蘭盆会(うらぼんえ)です。盂蘭盆をテーマに、会長先生のご著書『心田を耕す』(P225)から学んでみましょう。


○自己中心からの脱却

盂蘭盆(うらぼん)というのは、梵語(ぼんご)のウランバナを音写(おんしゃ)したものですが、漢字に当てはめると「倒懸(とうけん)」になります。「懸(けん)」の字は吊(つ)るすという意味ですから、体が逆(さか)さまに吊るされるということです。体が逆さ吊りになれば苦しいにちがいありませんが、逆さには吊るされていないまでも、私たち人間はいろいろなことで苦しんでいます。

倒懸とは、見ること、聞くこと、考えることが、みんな逆さまになっている、その心のありようを表わしています。

私たちの見方が逆さまになる原因は、何ごとも自己中心に考えること、「自分が正しい」という思いこみにあります。それが逆さまに吊るされた状態の見方です。別の言葉でいえば「顚倒(てんどう)」で、見方・考え方がひっくり返っているのです。

たとえば、他人からの忠告を素直に受けとれば苦痛ではありませんが、そのように受けとれないのが現実です。せっかくの善意の忠告をゆがめて解釈して、自分も苦しみ、周囲の人も苦しませてしまいます。

我執(がしゅう)や自己中心は、ものごとの見方・考え方が逆さまになり、固定的で狭小(きょうしょう)な考え方しかできないという意味で、心の貧(まず)しさと表現することもできます。


自己中心でいると、ものごとの見方、考え方がひっくり返ってしまいます。

自己中心の見方から相手中心の見方に切り替えていくことが大事ですね。自分の立場だけを主張するのではなく、一呼吸おいて相手の立場に立って考えてみる。簡単なようで難しいことですが、これだけでも見方が大きく変わっていきますね。


今日は、自分の見方が逆さま(自己中心)になっていないか振り返ってみましょう。











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