本部の方から、脇祖さまが晩年お住まいになられた「お山」の写真を送っていただきました。
今日は「脇祖さま報恩会」です。脇祖さまをご存知ない方もいると思いますので、脇祖さまのご生涯について紹介をしたいと思います。
脇祖さま (長沼妙佼・みょうこう) は1889年12月25日、埼玉県に生まれました。幼いときに母親を亡くし、「艱難汝(かんなんなんじ)を玉(たま)にす」の言葉を支えに苦難を耐えてきましたが、結婚後も子どもの病死、離婚、重い病を患(わずら)うなどの苦労が続きました。そうした折に、お導きにこられたのが開祖さまです。
「私たちはご先祖さまのおかげさまでいのちをいただき、家族や大勢の人に支えられ、仏さまに生かされています。そのことに感謝して正しい行ないをすれば、必ず幸せになれます」という開祖さまの言葉で、『法華経』の教えに導かれると、それまでの悲運を感謝の心で受けとめ、人さまの幸せを念じて信仰の道を歩み始めました。
そして、1938年3月5日、「現実に人を救い、世を立て直すためには、法華経に込められている真の仏教精神を広め、真心で精進する人たちをふやしていくほかはない」というお気持ちから、開祖さま、脇祖さまは「大日本立正交成会」を創立します。脇祖さまは開祖さまの指導に従い、法の証明役に徹し、時には厳しい指導によって会員を導きました。
世話好きで人情にもろく、困った人を見ると放っておけない脇祖さまは、法施(ほうせ)とともに身施(しんせ)も財施(ざいせ)も、徹底して行なわれました。
「自分のところにあるものは仏さまから一時お預かりしているものだと思って、日々の暮らしに使う以外の物は、困っている人に施(ほどこ)さなければと思っています」「私があげるのではなく、仏さまがくださるんですよ」。そう言って、ご自分の着物や帯などを惜しみなく、生活に苦しむ人たちに分け与えられました。
また、 脇祖さまは、青年の育成にもカを注ぎました。本部道場の掃除などの奉仕活動に励む青年たちに、「仏さまはご照覧(しょうらん)だよ。したくないことや骨の折れることを、いとわずにできる人間にならなければだめだよ」「こうして骨の折れること、たいへんなことをさせてもらうことで徳を積ませていただけるんだよ」と、声をかけられました。
会員をわが子のように慈(いつく)しむ姿から「慈母」と慕われた脇祖さまは、1957年9月10日、遷化(せんげ)されました。立正佼成会の発展に大きく貢献し、多くの人びとの幸せのために身を尽くした慈悲の生涯を讃(たた)え、2000年、 会長先生から 「脇祖妙佼慈道菩薩(わきそみょうこうじどうぼさつ)」のご法号(ほうごう)がおくられました。
(『やくしん』2017年9月 特集より)
『法華経』の教えに出会い、救われた喜びを身をもって示し、多くの方を救い、導き、育てられた脇祖さま。脇祖さまを慕い、一人でもいいので気になっている方に声をかけてみましょう。
今日も一日よろしくお願いします。
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