今日は彼岸入りです。
お彼岸期間、それぞれお墓参りやご自宅にてご供養をされることと思います。
表紙の 「お彼岸会を迎えるにあたって」もご覧ください。
今日は彼岸会について、開祖さまご法話「彼岸会と到彼岸 外から内へ内から外へ」(「佼成」1974年9月)より学んでいきたいと思います。
◎心が内へと向かう時期
九月は彼岸会の月です。お中日(秋分の日)をはさんで前後各三日、在家の仏教徒は寺院に参詣したり、墓参をしたりし、出家の僧侶はこの一週間に特別の法要を行ったり、信者に法話をしたりする、わが国特有の仏教行事です。インドにも、中国にも、このような習慣はありません。聖徳太子の時代に始まったとされていますが、ともあれ、昼夜の時間を同じくする春秋二回の好季節に、一般民衆がこぞって仏道への思いを新たにし、精進を促される機会が設けられたのは、じつにすばらしいことだと思います。
春の彼岸会は、長い陰鬱(いんうつ)な冬が終わって心浮き立つころのこととて、あまり信仰心のない人も一種のレクリエーション的楽しみをもってお寺参りをし、お墓参りをします。そして、知らず知らずのうちに仏教というものに関心や親しみを持つようになるのです。レクリエーション的楽しみといえば、偏狭な宗教者は信仰の本道から外れたものとして顔をしかめるかもしれませんが、なにも宗教をそんなに堅苦しく考えることはありません。清らかな楽しみを大いに楽しむことは、人間の本性に合致するものです。
キリスト教にもクリスマスや復活祭のような楽しい行事があり、神道にも全国各神社に賑やかなお祭りがあります。わたしどもの行うお会式も、やはりその要素が濃いのです。そういったわけで、春の彼岸会は、それ独特の雰囲気と意義とを持っているように思われます。
それと対照的に、秋の彼岸会は、涼風が立って身も心も引き締まるころに行われます。これまで海へ出かけたり、山へ登ったりしてエネルギーを外へ外へと発散させていたのが、ここで一転し、精神的な充実や魂の喜びを求めて内へ内へと沈潜(ちんせん)していくようになります。そうした時期に秋のお彼岸がありますので、いわゆる信仰者でない人も、厳かな読経の声を聞いたり、お墓の前で手を合わせたりしますと、いつもは経験することのない、何ともいえぬ心の安らぎを覚えます。そして、日ごろ煩悩のおもむくままに行動し、喜怒哀楽に押し流されつつ生活していたことの空しさにフト気がつき、仏教書でも読んでみようかな‥‥というような気持ちを起こすのです。ましてや、ほんとうの信仰者ならば、これを機として日ごろの懈怠を反省し、新しい精進を決意するのが自然の成り行きであって、秋の彼岸会はこういう厳粛(げんしゅく)な意義を持っているものと信じます。
秋のお彼岸を迎え、ご先祖さまに喜んでいただけることは、今ある命に感謝することです。
お彼岸期間、亡くなった親やご先祖さまを供養する気持ちで、目の前の人に喜んでもらえるように思いやりの実践に取り組んでいきましょう。
今日も一日よろしくお願いします。
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